1993 ブラジル

 卒業旅行と題して、南米はブラジルに行ってきた。 卒論の締め切りが結構遅く、卒業式に間に合わせるため、とれる期間は思いのほか短かった。 場所は、せっかくだからできるだけ遠くに行きたかったので決めた。 初の海外一人旅なので、飛行機、宿ともに日本で手配して行った。

旅程

1993年旅程宿泊地
3/13NRT 1900発 ✈ 0550+1着 SAO RG835機中泊
3/14SAO 0900発 ✈ 1145着 BUE  RG940
ブエノスアイレス市内観光
ブエノスアイレス泊
3/15BUE 0900発 ✈ 1040着 IGR AU066
イグアス滝アルゼンチン側の観光
ブラジル入国
イグアス泊
3/16イグアス滝ブラジル側観光
3国国境
パラグアイ・プエルトストロエスネル
イタイプーダム観光
サンバショー
イグアス泊
3/17IGU 1600発 ✈ 1915着 RIO 1915 RG250
サンバショー
リオデジャネイロ泊
3/18コパカバーナ海岸
ポン・ジ・アスカール
コルコバードの丘
リオデジャネイロ泊
3/19RIO 0915発 ✈ 1330着 MAO 1330 RG204
アマゾン遊覧飛行
マナウス泊
3/20ピラニア釣り
中央市場観光
マナウス泊
3/21アマゾンクルーズマナウス泊
3/22MAO 1430発 ✈ 2040着 RIO RG205
RIO 2200着 ✈ 1330+2着 NRT RG836
機中泊
3/23消失
3/24成田帰国
NRT:成田 SAO:サンパウロ BUE:ブエノスアイレス
IGR:イグアス(アルゼンチン)  IGU:イグアス(ブラジル)
RIO:リオデジャネイロ MAO:マナウス
RG:バリグブラジル航空 AU:Austral航空

地球の裏側まで

 成田を出発したのは19時。現地時間の12時ころロサンゼルスでいったん着陸。乗り継ぎではなく直行便なため、アメリカには入国にはならず、小部屋に押し込められる。麻薬犬が歩き回っている。1時間待ち。

 13時頃、再度登場して出発。サンパウロには現地時間の5時過ぎ、まだ暗いうちに到着した。ここまでに各フライトで機内食を2回づつ、4回食べた。サンパウロで2時間待ち。

 完璧に日本語の表示はなくなり、ポルトガル語、英語の順。最後、ブエノスアイレスまでの飛行機の中で、もう一回機内食をたべた。

 成田を出発して29時間後、ブエノスアイレス到着。

ブエノスアイレス

 フロリダ通りを歩いてみる。気温は31度。

 夕食はAsadorと書いてある焼き肉屋へ。さすが、 牛が人口の3倍いる国は違う。レストランのメニューに平気でステーキ750gとか書いてある。また、それをたいらげる客がいる。一番小さいチキンを注文したけど、一羽まるごとだった。

 夜は、タンゴのショーを見に行った。素敵だった。

イグアス

 ブエノスアイレスからの飛行機の着陸直前の窓から見えた。ジャングルの中にもうもうと水煙を上げるばかでかい滝。 あの水煙が上がっていっところに滝がある。

 ジアルゼンチン側では展望台までの橋が数年前に落ちてしまったそうで、 小型ボートで展望台まで行く。これが、なんと滝の上側を走るのである。 水面がすでにRを描いて落ち込んでいるすぐ上を頼りないボートは展望台に向けて走る。 落ちたりしないのかと聞いたら、ベテランの船頭だから大丈夫という。愚問であった。

 展望台から見たイグアス滝の最上部(アルゼンチン側)。確かに、さっきあそこをボートで通ってきた。

 イグアスの滝は、単一の滝ではなく、そこら一帯の無数の滝の集合体である。 写真に写っているのも全体の一割以下ではないだろうか。

三国国境

 対岸の左側がアルゼンチン。対岸の右側がパラグアイ。手前がブラジル。 川を右に溯るとパラナ川で、イタイプーダムにつながる。 川を左に溯るとイグアス川で、イグアスの滝にでる。真ん中の川を下ると、ラプラス川に注ぎ、 ブエノスアイレスまで流れている。

パラグアイ

 ブラジルから友情の橋を渡り、Duty Free の街 Ciudad del Leste に行く。 日帰りであれば、入出国の手続きは不要。パスポートは要携帯。ブラジルやアルゼンチンからも 大勢の買い物客が来ている。お金はブラジルのクルゼイロがそのまま使えた。

イタイプーダム

 世界最大の水力発電所である。 ブラジルとパラグアイの国境の川にあり、生産される電力も両国で半分に分けている。 ところが、パラグアイでは電力を使い切れないのでブラジルに売っているという。 すごい送電線がジャングルの中を一直線に走っている。

リオ・デ・ジャネイロ

 リオデジャネイロの海沿いに巨大な岩が突き出ている。 標高390mでリオの街が一望できる。ロープウェイで登ることができる。

 イエス・キリストの像である。ニューヨークのマリア像に向き合っているという。

 コパカバーナ海岸には、いかにもブラジルといった 布の面積の超小さいビキニが露天で売られている。 もちろん、海岸にはその超小さいビキニに身をほとんど包んでいない娘さんもいるのだ。

 リオで最も有名な、「プラタフォルマ1」でサンバのショーを観た。 圧巻である。サンバショーはイグアスでも見に行ったが、そちらははるかに規模も小さく、 洗練されてなく、しかし布の面積も小さい。

 リオのこのショーでは、各国の客が次々にステージに呼ばれ、 僕もお約束の「上を向いて歩こう」で場をいっそう盛り上げた(と思う)。

マナウス

 アマゾン川は広い。川向こうに見えるのは、最初の中州で、対岸はずーっとずーっと向こうである。

 マナウスでは、ついつい、セスナの遊覧飛行に乗ってしまった。助手席というか、左席だからキャプテンシートに座った。絶対何も触るなと言われて。

 マナウスでは、アマゾンのネグロ河とソリモンエス河が合流するところである。 ネグロ河は流れがゆっくりで、そのため堆積した植物から色素が抽出され(お茶と同じ)、 まるでコーラのような色をしている黒い河だ。 対して、ソリモンエス河は流れが早く、土砂を運んでいるので灰色をしている。 合流地点では、速度や比重の違いから何キロも混ざらずにくっきりと別れたまま流れ続けている。

 市場でぶらぶらしていたら、ピラニアを釣りに行こうと、客引きに誘われた。 船にのり、小さな支流に入り込む。 餌は牛肉の塊。頑丈な針に肉塊をつけ、水中に落として静かに待たない。 竿で水面をバシャバシャかき回すと、動物が落ちたと思ってピラニアがよってくる。 一度釣れだすと、入れ食い状態。 針からピラニアをはずすときは緊張する。

 日帰りのアマゾンクルーズに参加した。 中州にあるインディオの村やジャングル歩き、オニバスの自生地を見てまわる。 オニバスのすぐ横には野生のワニが寝ていた。

 このツアーは日系ブラジル人(3世)の方と知り合いになり、家に呼ばれたり、市内を案内してもらったりした。 ポルトガル語の単語がビシバシ混じる日本語での会話は、こんな地球の反対側まできて頑張っていた日本人の近代史に思いを馳せる。

  コーラのように黒いゆったりとしたネグロ河に夕陽が落ちる。 夕陽の赤い色がいっそう黒い川面に反射して美しい。

 ブラジルを旅行してる最中、シュラスコ三昧の肉の攻撃に参っていたのだが、 マナウスでは魚が食べられる。 試しに、世界最大の淡水魚ピラルクーを食してみたが、肉に飽きていたのもあり、感動的においしかった。

両替

 200ドル両替すると、札束だった。CR$5,070,000。

総括

 バックパッカーな旅行でなかったけど、一人旅というのは面白かった。航空券と宿は手配していったので、観光と食事は自力で。

 ブラジルは案外英語が通じないということ。スペイン語とポルトガル語とイタリア語はだいたい同じで日本の方言みたいなもんだ。ということを知った。なんだ、英語って万能じゃないじゃんという変は自信がついたかも。

1. 航空券

 当初は大学の生協に行ったら、ブラジル専門の旅行会社を紹介され、UNIVERTORという旅行会社にて予約発券。

NRT/SAO/BUE/IGR//RIO/NRT [Discounted YLGV10//BUE] JPY364,000
IGU/RIO/MAO/RIO [RG BRASIL AIRPASS USD440] JPY52,700

2. 宿泊

 宿も全部、上記のUNIVERTORで手配してもらった。なので、その土地の観光用の高級ホテルばっかり。

14-15MARブエノスアイレス:GRAND HOTEL
15-17MARイグアス:DAS CATARATAS
17-19MARリオデジャネイロ:HOTEL CALIFORNIA
19-22MARマナウス:TROPICAL MANAUS

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