カラコルムハイウェイと,8000m級の山々.中パ国境の標高4600mのクンジュラーブ峠。 そして、初のイスラム体験が当初の目的。 フンザは「風の谷のナウシカ」の舞台とも言われ。確かにそれらしい風景や、かわいいナウシカ達に出会うことができた。
予定を大幅に変更し。ジープを5日間もチャーターするという贅沢をして、 シャンドゥール峠を越え、チトラールに入り、北部一帯を回ることができた。 イスラムに改宗していない少数民族の村も訪れた。 一人旅のはずだったが、ほとんどの期間を日本人学生君と一緒に行動した。
目次
旅程
1996年 | 日程 | 宿泊地 |
---|---|---|
30AUG | NRT 1200─(PK751)→ISB 2000 | ラーワルピンディー泊 |
31AUG | ワーワルピンディー観光 夜行バス:ギルギットへ | 車中泊 |
01SEP | バス:フンザへ | フンザ泊 |
02SEP | ウルタル氷河トレッキング | フンザ泊 |
03SEP | クンジュラブ峠観光 (ジープチャーター) | フンザ泊 |
04SEP | ギルギット経由、シャンドゥール峠へ (ジープチャーター) | ファンダール泊 |
05SEP | シャンドゥール峠を超えて、チトラールへ (ジープチャーター) | チトラール泊 |
06SEP | チトラール観光 カフィリスタンの村を観光 ディールへ (ジープチャーター) | ディール泊 |
07SEP | ペシャワール観光後,ラーワルピンディーへ (ジープチャーター) | ラーワルピンディー泊 |
08SEP | ISB 0730─(PK752)→NRT(PK752) 2155 成田帰国 |
旅のはじまり
イスラマバードの空港からタクシーでバスターミナルに直行(250ルピー)するも、その日のバスには間に合わず。 しかたなく、バスターミナル近くの最悪の宿に投宿(150ルピー)する。
翌朝、ギルギット行きのバスのチケット(250ルピー)を確保。出発まで市内散策。午後1時発の夜行バスでカラコルムハイウェイを北上し、ギルギットへ。15時間かけて翌朝4時にギルギットに到着。
フンザ
明るくなるのを待ち、軽く朝食12ルピーを食べる。ミニバスで4時間(50Rs)バス5Rsを乗りすぎ、フンザに到着。昼食はコーラとカレーで41Rsであった。
ギルギットでばったり出会った日本人大学生と部屋をシェアする。New Hunza Tourist Hotel が一泊120ルピーを2人でシェア。夕食が40ルピー。よい。
水シャワーの部屋なのだがその水が大変冷たい。それもそのはず、すぐ山の上の氷河からの水がそのままここに引かれて流れている。日中の日差しは強いので、昼間にシャワーして、速攻お庭で日向ぼっこ。

フンザ川を隔ててラカポシの勇姿が美しい。
ウルタル氷河
標高2400mのフンザ(カーリマバード)から、ウルタル谷にそって谷を登る。 朝6時に登りはじめて、3300mのカールに到着したのが午前9時。これを過ぎると谷間に日が射すので格段にしんどくなる(と宿のお兄さんが忠告してくれた)。空気が薄いのが実感できる。


カールには Lady finger restaurant というテントがあり、コーラやカレーを食べることが できる。150Rsだった。

カールからは、山々が一望でき、左の尖っているのが Lady finger 、順に右にフンザピーク、ウルタルⅠ峰(7323m)さらに写真には写っていないが、ウルタルⅢ峰が望める。ウルタルⅠの下にはウルタル氷河が流れてウルタル谷に注いでいる。
時折、氷河の流れる爆音が聞こえてくる。日本人登山家が何人も亡くなっているらしい。
クンジュラブ峠

ジープをチャーター(2800Rs)して中国との国境、クンジュラーブ峠を見に行く。カラコルムハイウェイをどんどん上り、国境の町スストを抜け、標高4600mの峠に到着する。峠一帯は高原になっており、高いという感じではないのだが、一歩踏み出すとここが高所であることを実感する。

ずっと前から一度乗ってみたいと思っているバス。中国の最西の町、カシュガル からパキスタンに入るバスである。中国シルクロードを渡り、カシュガルから、クンジュラーブを越えてパキスタンに入り、ヨーロッパへというのは長期旅行者のゴールデンルートの一つ。勤め人の身分では永遠に憧れのままかもしれない。フンザの宿にも、中国から越えてきた日本人の学生さんがいた。
そういえば、GWに上海で会った日本人に、これからシルクロードをこえてパキ越えしてヨーロッパへという学生さんがいた。彼は無事にここを通過できただろうか。(後日追記、この旅の2年後に念願はかないました)。

ここは、パミール高原の一角。空の色が違う。周囲の山はさらに高いのだと思うと感心する。息を切らせながら一歩一歩、中国のポストまで歩いていく。 国境は厳密でなく、そこらへん一帯を歩いても問題はないよう。国境警備員のテントにお邪魔になり、チャイをごちそうしてもらった。
途中、昼食が45ルピー、コーラが10ルピー。
パスーの吊橋

フンザ川にかかる吊り橋。フンザ川はインダス川の支流。流れは強く、渦をまいて流れている。恐る恐る、ロープにつかまりながら渡るが、向こう岸から女の子がすたすたわたってくるので、すれ違うのを避けて戻ってくる。向こう岸は絶壁で、 絶壁に階段状の道がついている。

フンザの伝統的な帽子をかぶった老婦人。だめもとで写真を撮らせてほしいと 言ったら、意外にも快くOKしてくれた。イスラムの国で、なかなか女性は写真を撮らせてもらえない。田舎町では外国人がめずらしく、興味津々で集まってくるのに、カメラを 向けると、さっとひいてしまう。

フンザの聖なる岩と呼ばれているらしい。古代シルクロードの人々が記したとか。
シャンドゥール峠越え
ジープドライバーの熱心な営業の末、シャンドゥール峠越え、チトラール経由、ペシャワール経由ラーワルピンディー行きのジープをUS$550でチャーターする。宿でシェアする仲間を探すも、みんなゆっくり旅をするということで、なんとか、日本人学生君と350:200でシェア。この先、延々とつづく苦難の道のりが待ち構えていようとは。

ギルギットから見たナンガパルバット。標高8126mで8000メートル峰であり、こいつがすごいのは独立峰だってこと。ギルギットで昼食32ルピーをいただく。加えてコーラ12ルピー。



道沿いの人々。この道も点々と村があり、人が住んでいる。この日はファンダールという街まで進んで、汚いホテルに宿泊した、宿代は200Rsを二人でシェア。夕食も45Rsを二人でシェア。

朝の風景。羊の放牧がなされている。

夏の間だけ放牧のために存在する夏村らしい村をいくつか通過していく。
峠に近づくにつれ、標高も上がり、木々は減って岩石砂漠になっていく。

ジープ道が走ると砂埃がものすごい。外国人を見ると少女たちが砂煙の中を 追いかけてくる。ジープを止めてもらい、写真を撮ったりした。本当にかわいい。

そろそろ、峠は近いが、行くてを羊の群れに阻まれる。

いくつもの夏村(放牧のための夏のみの村)を通過し、3720mのシャンドゥール峠に到着する。まさに天上の地を思わせる。大きな湖があり、放牧がされている。 今回、スケジュールの都合で大急ぎで回ってしまったが、本当は4、5日かけて 峠越えを楽しむべきルートである。

峠で、チャイを頂いた。10Rs。ここは素晴らしい。
道は大変ハードで、峠越えの最中にパンクが2回、バッテリーが死に絶え、駆動部のパーツを一回交換した。ピカピカのジープはボロボロのジープに変わり果ててしまう。僕らも、ジープを後ろから押したり、貴重なミネラルウォーターをラジエターに献上したりと。まったくお客様気分ではいられない。
途中、昼食は55ルピーを2人でシェア。チトラールについたのは、もう夜も遅く、ここで一泊。
北西辺境州
チトラール

チトラールの警察で外国人登録をし、カフィール谷への入域許可証をもらう。何があっても自己責任で、という書類にサインをした。
その際に見せてもらった警察の資料によると、年間のチトラールの外国人は約2000人。その内日本人は200人。シャンドゥール峠を越える この道は一体どれくらいの外国人が通るのだろう。チェックポストのノートによれば、 この日にこの道を通った外国人は我々を含め3人。冬は閉ざされてしまう。

チトラールの町は、絵に書いたような田舎町だ。すぐとなりはアフガニスタンだけど、のどか。

宝石商というか、骨董やというか、面白い店を見つけた。店の親父もなんかいい雰囲気だしている。アフガニスタンが近いので、たぶん、そっちの雰囲気。
英語が堪能で日本から来たというと、ずいぶん感心された。ラピスラズリが名産ということで、いくつかお土産に購入。
カフィール谷

チトラール南部のアフガニスタンとの国境付近の谷にはイスラムに改宗していない人々が住んでいる。入域許可を得てこの村を訪ねた。

ここの人々は、少数民族で、民族衣装を着こなしている。イスラムではないので、写真撮影OK。もちろんチップを払う。

いくつか宿もあり、本来なら 一泊すべきであるが、帰りの飛行機に間に合わせるため、数時間の滞在でディールを目指す。
ディールまで

ロワライ峠からディールまでの道は、トラブルの多い道で、反政府的な村が続き、 銃も持っている。土の煉瓦の家に住んでいる。ここを通過する際はジープは 音楽を止め、静かに走った。

ロワライ峠(3200m)を越えて今日はディールという町に宿泊する。

ディールの朝。泊まったホテルは賑やかだけど、悪くなかった。夜は停電する。というか、この辺の電力事情は非常に悪いらしく、しょっちゅう停電するらしい。まあ、そうだろう。
タフティ・バーイ


ディールからさらに小さな峠を一つ越え、タフティ・バーイという ガンダーラの山岳仏教寺院の遺跡を訪ねる。中には仏像も残っている。我々はガイドブックも読まずに、ジープのドライバーに観光を任せて いたので、後になってガイドブックを読み直すまで、この遺跡がすごいものであることに気づかなかった。
この辺りの街道沿いにはいわゆる悪徳警官がたくさんいて、通行する車を止め 賄賂をせしめていた。我々はドライバーとの約束で賄賂はドライバーもちと 事前に取り決めをしていたので、ドライバーは Fuking police を連発しながら いくらかの賄賂を何回か払わされていた。
ペシャワール

前も後ろもわからない。我々はこのご婦人方を「てるてる坊主」と呼んでいた。厳格なムスリムなのであろう彼女らは、目すら衆目にさらすことを避け、 こんな格好をしている。こんなご婦人が3、4人集まって井戸端会議をしている図は迫力そのものである。こんなすごいのはペシャワールで初めてみた。逆に顔が見えないので 写真に撮りやすい。もちろん、全員がこうなっているわけではなく、ペシャワールでは全体の 1割くらいの女性である。
ペシャワールで日本人学生君を降ろして、ラーワルピィンディーへ向かう。
ラーワルピィンディー

この後、高速道路でラーワルピンディーに戻り、高級ホテルのレストランの裏口で1週間ぶりの ビールを100ルピーも払って入手し、ドライバーと別れた。パキスタンの最後の夜を一人安宿で楽しんだのであった。
計画と費用
本文の通り、そもそもなかった計画にしても、完全に総崩れ。それは良かった。計画してたらチトラール方面は行けなかった。
費用の詳細データは残っていないが、当時のレートは1USD=38Rsくらい。1USD=110円くらい。なので、1Rs=2.9円くらいであったことになる。
1.交通費 170,000円
NRT/ISBの往復航空券、HISで購入 | 121,000円 |
空港からラーワルピィンディーまでのTaxi | 250ルピー |
ギルギットまでの夜行バス | 250ルピー |
ギルギットからフンザまでバス乗り継ぎ | 50+50ルピー |
クンジュラーブ峠往復、ジープ1日チャーター | 2800ルピー |
シャンドゥール峠越え、2泊3日のジープチャーター | 350USD |
空港までのTaxi | 150ルピー |
現地交通費は49,000円くらい。ほとんどがジープのチャーター代だ。得られた体験に十分見合っていると思っている。
2.宿泊費 3,000円くらい
記錄が不完全だが、全8泊で、トータル1000ルピー以下。
3.食費 5,000円くらい
記錄が不完全だが、山の上とか特別なところをのぞいて、だいたい1食40~50ルピー。それより、コーラ12ルピーとか水とか、飲料系が結構高い。最終晩のアレを除いて酒はない。