1996 カンボジア

 カンボジアといえばアンコールワット。まだ完全とはいえないが 徐々に治安を回復しつつあるカンボジアでゆったりとアンコールワットを観光してきた。 いまだ内戦の傷痕がなまなましく、いたるところに銃などの武器があふれている。

 人々は他の東南アジア諸国と変わらず、明るく親切だ。日本人観光客も大変多く、 何の問題もなく旅行できた。但し、我々がカンボジアを去った数日後に、我々もお世話に なったプノンペンのレストランのすぐ近くで日本人男性2人組が銃をもった強盗に襲われる など、まだまだ危険な事件がおきている。

旅程

1996年日程宿泊地
26DECNRT 1355 ✈ 1855 BKK 1855 UA821バンコク泊
カオサン(W120B)
27DECBKK 1100 ✈ 1215 PNH 1215 TG694プノンペン泊
キャピトル(W5$)
28DECスピードボート(24$)でシェムリアプへシェムリアプ泊
260G.H.(W6$)
29DECトンレサップ湖と水上生活の村を観光シェムリアプ泊
30DECアンコールトム&アンコールワットを観光シェムリアプ泊
31DECタブローム等、周辺の小さな遺跡群を観光
日没後のアンコールワットを観光
シェムリアプ泊
1997年
01JAN
アンコールワットの初日の出シェムリアプ泊
02JANスピードボート(25$)でプノンペンへ。
メコン川クルーズ
プノンペン泊
Happy G.H.(W6$)
03JANツールスーレン刑務所博物館
キリングフィールド
プノンペン市内観光
プノンペン泊
Happy G.H.(W6$)
04JANPNH 1145  ✈ 1520 HKG KA201
香港観光
香港泊
Super G.H.(W360HK$)
05JANHKG 1000 ✈ 1440 NRT UA800
成田帰国

プノンペン

 バンコクで乗り継いで、プノンペンに到着。空港でVISAを買い、空港からタクシーで市中まで7$だった。キャピトルG.H.に投宿。ここで明日のシェムリアップ行きのスピードボートのチケットが買える。中央市場などをみてまわり果物をたくさん買った。アジアのフルーツは美味い。

 夕食に入ったレストラン、チキンライスみたいな写真で注文したら、なんとご飯が食紅で着色してあるだけ。鶏肉ないのはいいけど、ケチャップですらない。さすがに悲しい。

 プノンペンのキャピトルホテルで24$で手配したシェムリアプ(アンコールワット観光の拠点)行きの高速船。船内は全席指定で映画も上映していた。エアコンも効き快適(退屈)な船旅である。

 トンレサップ川を溯ること2時間で両岸がぐっと遠のき、トンレサップ湖に入る。大きな湖で360度水平線で何も見えなくなり、そのまま3時間ほど走ると、小さな港につき、接岸する。

 なぜ、船かというと、プノンペンからアンコールワットのあるシェムリアップまでの事実上唯一の移動手段なのだ。飛行機はあることはあるが、不定期のチャーター便だし、価格的にもバックパッカーには身の丈が合わない。陸路は非常に危険で、武装強盗や誘拐の被害が多発しているらしい。手に入るすべての情報はこの船便のみである。

トンレサップ湖

 岸には乗客より多いのではと思うほどゲストハウスの客引きが群がっていて、我々はとりあえず 有名な日本人宿260に投宿することにした。客引きにまかせると、シェムリアプ中心までのバイクタクシー代はただになる。

 トンレサップ湖の湖畔にある小高い丘から湖の集落と湖を眺める。内戦時代の要衝らしく丘のいたるところに銃火器が放置してある。見渡す限りの湖はさすが東南アジアNo1である。

 湖の中にまっすぐと土手のような道が進んでいてその周りには水上生活者の集落もある。 トンレサップの岸辺、とは言っても小型船で20分くらいの沖までは、水上生活の人々の 集落がある、家が船の上に建っていて、船の上で生活をしているのだ。子供たちは 無邪気に水浴びなどをしている。

 少しお姉さんになると家事の手伝いをしていて 大変上手に魚を開いていた。

シェムリアップ

 シェムリアップの町中の川では女性がなにか仕事をしていたんだけど、洗濯なのか、なにかの洗い物なのか、魚を取っているわけではないと思うけど。

 地元の市場。アジアの市場はどこもすごく活気があっていい。

アンコール遺跡群

 アンコールトムは大変広大なエリアを城壁が囲んでいる大きな遺跡だが、城壁の内側にまだジャングルが残っており、中心のバイヨンが観光の中心になる。バイヨンだけをみた場合、ワットと比べてはるかにスケールが小さいが、ところどころヒンドゥーの様式を残していて、リンガもある。彫刻は大変美しく、構造も複雑でたっぷり1日観光できる内容だ。

 

 あまりにも有名な四面仏像であるが、これが圧巻である。アンコールトムは2重回廊になっているが、改築をかさね、内部には井戸のある部屋もあり構造は複雑である。そしていたる壁に精緻な彫刻がなされ、ガルーダ神や女神デバターなどヒンドゥー神話に 基づいたものや、クメール軍、チャンパ軍の戦いを描いたものなど生き生きと彫り込まれている。

 アンコールワット北西の小高い丘から見たワット。ジャングルの中に忽然と存在する威厳のある姿である。この丘からは大平原に沈む夕日を見ることができる。

 この丘は団体ツアーの「夕日を見る」というメニューに含まれているので、丘の上は 日本人観光客でごったがえしていて、場所取り合戦までしている。夕日が見えるポイントからは、広大な平野と巨大な貯水池であった西バライが見渡せる。反対側からは夕日を受けて黄金色に輝くアンコールワットを見下ろすことができる。丘に昇るのはとても足元の悪い急な山道の階段もどきを登るので結構しんどい。

 アンコールワットは3重回廊になっている。外側の第1回廊には東西南北の4面にすばらしい浮き彫りが施されており、ヒンドゥーの天地創造神話から、現世のクメールとチャンパの戦い、そして 死後の世界が描かれている。

 我々はなんとなくガイドをしてくれることになったチーヤという10歳の少女に案内されてアンコールの 見所を回った。あまりにも予習をしていなかったので、少女の言葉少ない英語のガイドが大変役に立った。

 モリモトという江戸時代の日本の武士が残していった落書きもちゃんと知っていて連れていってくれた。

 とても我々2人ではそれを発見することができなかっただろう。 神話も説明してくれたし適当に休憩もしてくれ、他のガキ共とちがって押し付けがましくなく優秀な ガイドだった。

 バンテアイスレイの彫刻が有名だが、アンコールワットやアンコールトムやその周辺の小さな 遺跡群にも女神デバダーの像はよく見られる。ふくよかなバストと微笑みを浮かべた顔は 実に美しい。我々はこれを「おっぱいの神様」と呼び、鑑賞した。手の届くところにあるデバダーの 彫刻は道行く人々がおっぱいをさわっていくので、そこだけてかてかと光っているものも多数ある。

 今回は予算(兵士を雇って車で行くので、一人20$くらいかかるらしい)とスケジュールの関係でバンテアイスレイまで足を伸ばさなかったが、そこにはもっとも芸術的に優れているといわれるデバダーの像があるという。 

 ここは、発見の当時から修復をしない約束になっているというアンコールトムからすこし 東にある遺跡である。アンコールワットやトムが今も仏教寺院としての活動をおこなっているのに 対して、ここは完全な廃虚になっており、ガジュマルの木が遺跡を覆い被さるように生えている。 いずれは完全にジャングルに飲み込まれてしまう運命の遺跡であり、自然の迫力を感じることができる。

 今回の旅のメインイベントである、アンコールワットの初詣。バイクタクシーの兄ちゃんに 早朝5時半に迎えにきてもらい、まだ暗闇の街をアンコールワットへと向かった。

 くもり空であったが、東の空はだんだんと明るく白み始め、ワットの少し南側から初日の出が 昇ってきた。周囲は初日の出を拝みにきた日本人観光客でごった返しているが、その多くは 団体客のため、初日を見たらすぐに集合して戻っていった。静かになったワットに昇り、 いつもよりお賽銭を奮発して初詣をしたのだが、 この時、同行の友人は Big problem has come で 苦しんでいたのだった。元旦を一日寝正月ですごした後、夜になって260GHのとなりの薬局で診察してもらい、 薬をもらったら一発で全快した。

 プノンペンとの間の船は、小型のモーターボート(モーターを4つもつけていた)があるが、思ったより速くなく、帰りプノンペンまで6時間あまり要した。ボートの船首は機関銃で武装してあった。小型のため 波がある部分では激しくゆれる。エアコンも、映画もなく、席もぎゅうぎゅう詰めでトイレにも 立ちにくい。

プノンペン

 プノンペンに戻って、我々は船を1時間8$でチャーターし、メコン川やその中州島の周囲を観光した。その船の船頭さんも ベトナム系の出身のようで、ベトナム語を話す。

 プノンペンは、アンコールワット方面、トンレサップ湖から流れてくるトンレサップ川と 中国雲南省からラオスを通ってベトナムに流れていくメコン川が合流する地点でもある。 ちょうどプノンペン周辺ではメコン川は2つの大きな流れを形成しており、トンレサップ川と あわせて3つの大河が交わっている。

 中州の島には広大な貧民街が形成されており、ベトナム系の 人々が多数住んでいる。川岸のプノンペンとは大きくその景色は異なり、子供たちは裸足で裸であり、 まるで別世界のようだ。

 トゥールスレン博物館とキリングフィールド。日本の学校では、なぜアジアの近代史を教えないんだろう。

香港

 帰りは香港経由。重慶大厦のSUPER G.H.に投宿。


総括

 カンボジアでPKOで自衛隊が派遣されたのが1992年~1993年の9月。それからわずか3年ちょっと。タイミングとしては、いい時期に行けた。

 アンコールの遺跡も修復が始まったばっかり。周囲の森はまだ地雷が残っている(立ちションに行こうとすると止められる)。これから整備をしていくのには多くの資金が必要だと思うが、その一方、ゲストハウスで購入したアンコール遺跡の入場券は、どうみてもリサイクルの偽物だったりした。

 夜は遠くの方で爆発の音が聞こえたりもしたし、シェムリアップとプノンペンの間は陸から離れた安全な湖の中央を進む船に頼らざるを得ず、また、その船もガッツリ武装している。

 確かに地雷や、治安等のリスクがあり、行きたいところすべてに行けたわけではないが、きっと、これからココはスゴイところになるだろう。そう確信したので、また必ず戻って来る。

 為替レートは1USD=117円。タイバーツは1USD=25THBで固定されていた(1997年の7月に通貨危機により変動相場制に移行した)。香港ドルは1USD=7.8HKDで固定されている。

 カンボジア国内は基本的にUSドルで、お釣りにリエルをもらうくらい。

1. 航空券とVISA 117,850円

 航空券は自分でAXESSで予約を作成し、懇意にしていたHISに発券してもらった。Niftyというパソコン通信からJALNETに接続し、そこからAXESSが触れるという段取り。AXESSは旅行会社の人が航空券の予約を作成するための端末で、世界中の飛行機のスケジュールや(正規の)料金が検索できた。

 購入したのはIATA-PEXという正規の事前購入割引運賃。正規なので、航空会社をミックスしてOK。

NRT/xBKK/PNH/xHKG/NRT [YJPX1M//PNH] JPY112,000

 バンコクの出国のPSCが250Bと、カンボジアのビザはプノンペンの空港でとれて、一人20USD。

2. 宿泊費 5730円

バンコク(カオサン)1泊120B
プノンペン (キャピトルG.H.)1泊5USD
シェムリアプ (260G.H.)5泊30USD
プノンペン (Happy G.H.)2泊12USD
香港 (Super G.H. 重慶大厦)1泊360HKD

 部屋はツインで友人とシェアなので表の金額の半分。宿泊費の半分弱は、香港での狭くて汚い部屋の1泊。

3. 主な移動費と観光費

バンコク空港、カオサン往復(鉄道,TukTuk,AirportBus)135B
プノンペン空港→市内往復14USD
プノンペン→シェムリアップ スピードボート24USD
トンレサップ湖バイクタクシー 2USD
船 10USD
アンコール遺跡群バイクタクシー3日間 25USD
アンコールワット入場料 100USD(一人)
チーヤにガイド料 2USD+麦わら帽子
シェムリアップ→プノンペン スピードボート25USD
プノンペンでメコン川クルーズ8USD

 こちらも、基本的に全て二人でシェアなので入場料以外は表の金額の半分。バイクは要するにカブに3人乗りをするということ。

4. 食費とか

 食費はドルだったりリエルだったり、260GHはチェックアウトで精算だったりで、記録になっていないけど、だいたい、ビールが1USDくらい、食事が1~1.5USDくらい。フランスパンは0.1USDくらい、コーヒーが0.25USDくらい。プノンペンでたべた日本食が2.5USDくらいなので、まあ気にする金額ではなかった。

 

その他の旅行記