タイの北部、ラオスとミャンマーの国境の山岳地帯には、数多くの少数民族が住んでいる。 この地帯は世界的な麻薬の産地としても知られ、黄金の三角地帯(Golden Triangle)などとも呼ばれている。 一方、このあたりは美少女の三角地帯ともいわれ、世界的な美少女の産地でもあるという。 この情報をキャッチした旅人は、美少女を求めて今回の旅を決行したのであった。
目次
旅程
1995年 | 日程 | 宿泊 |
---|---|---|
26AUG | NRT 1220 ✈ BKK 1630 AI309 BKK 1855 ✈ CNX 2000 TG120 | チェンマイ泊 |
27AUG | チェンマイ市内観光 ナイトバザール | チェンマイ泊 |
28AUG | Doi Inthanon 国立公園でトレッキング | カレン族の村泊 |
29AUG | トレッキング(象乗り,滝で水浴び) | カレン族の村泊 |
30AUG | 下山、いかだ下り | チェンマイ泊 |
31AUG | CNX 1055 ✈ BKK 1200 TG105 | バンコク泊 |
01SEP | バンコク市内観光 | バンコク泊 (AIが用意したホテル) |
02SEP | BKK 0850 ✈ NRT 1555 AI306(AI8時間ディレイ) 成田帰国 |
チェンマイ

チェンマイの市内および、郊外には寺院がたくさんある。 我々は、トゥクトゥクを2時間170Bで借り切り、これらの寺院をまわった。 写真は1345年に建てられたというチェンマイでは最も格式の高い寺院の一つ。トゥクトゥクの運転手は一通り寺院を回った後、お約束の土産物屋に我々を連れていった。 銀製品の工場、漆塗りの工場、そのどちらでも買い物をしないと、女はどうかと勧めてくる。 明日から山に入るので今は必要ないというと納得してくれたのであった。

チェンマイ市内にある昼のマーケットの一つ。我々は雨宿りのために立ち寄った。市場の中の屋台のようなところで1杯15Bの麺をいただいた。最高においしかった。 その後、市場でいろいろな果物を買い、試食した。ドリアンも切り身があり友人が初体験だというので、買って食べた。
山岳民族トレッキング

いよいよトレッキングである。ツアーはチェンマイのゲストハウスで手配した。象乗り、いかだ下り、全食事付きで2泊3日で一人1600B。チェンマイからトラックで5時間程かけて山に入り、モン族の村からトレッキングを開始した。最初は延々と続く段々畑を横切り、ひたすら歩く。
メンバーは、我々日本人2人の他、イギリス人カップル、スウェーデン人カップル、香港娘、フランス人介護婦3人組みの計10人にガイドがつく。
森を4、5時間ほども歩きカレン族の村に入った。この村の村長は付近の3、4の村の村長を兼ねるビッグな男。この日は留守だったので村長婦人に挨拶をして入村。

写真のカラフルな民族衣装は、カレン族の既婚の女性のもの。観光客を受け入れている村なので、写真撮影もOKなのだが、よその村に入り込んだよそ者という立場はやはり、居心地の悪いものである。
この村で一泊。グループにベジタリアンがいたため、全員肉抜きの食事となる。

カレン族は唯一象の調教ができる少数民族である。村まで象に来てもらい、象にのってジャングルを進む。象に乗っている時間は2時間程度であったが、意外にすぐ飽きてしまう。また意外に剛毛なのでちくちくする。

象には、村の高床住宅のベランダから乗り込み、降りるところにはちゃんと停留所のようなやぐらが建ててあった。象を降りると、さらにジャングルの奥へと進む。途中、ズボンを脱いで川を渡ったり、丸木橋(掴まるものはなにもない)を渡ったり、崖を横切ったりとなかなか激しい。

山の風景は日本の山とさして変わらないように見える。まるで丹沢を歩いているようだ。所々、バナナやヤシなどの熱帯植物があり、ここはやっぱりタイなのだなぁと思うのである。標高も1000m近いので気温も涼しい。 今日の目的の村は、山の頂上にあり、水がない。途中滝壷で水浴びをし、お風呂を済ませておくのである。みんな水着に着替えて水浴びをする。トレッキングには水着が必需品なのである(実は我々は知らなかったので短パンで入っていた)。話には聞いていたのだが、欧米の女性は、全く気にせずに我々の前で着替えていた。

山を登りつめ、山頂につくとサコカレン族の村がある。カレン族の中で、天を信仰するため山頂に村をつくるという。10数戸の小さな村で電気も水道もトイレもない。水は女が山を下りて川からくんでくる。農作業も女の仕事、炊事も女の仕事。男達は昼間は蹴鞠を楽しんでいる。
我々のために、火をおこし、どこからか毛布を用意し、水をくんできてくれたのはやはり村の少女だった。我々は夜に火を囲んで男たちと酒を酌み交わし、歌って踊って楽しむことができた。

白いワンピースが未婚の女性の衣装。未婚の女性とはいってもまだ10代前半の少女である。ちょっといいなぁと思うような年齢の女性はみな既婚女性であることが多い。相当気合をいれた青田買いが必要なのだ。
彼女たちは、昼間は畑仕事に出ているし、帰ってくるとすぐに水汲みや炊事の仕事があるのでなかなか旅行者は出会えないのである。

既婚ではあるが、美しいカレン族の女性が生地を織っている。これは彼らの日常の衣装や生活に使われるのはもとより、街に売りに出して数少ない現金収入を得る手段になっているらしい。
彼らは村に豚や水牛やニワトリを放し飼いにしてあり、広大な水田も持っているので基本的には自給自足が可能である。しかし、学校を作ったり、井戸を掘ったり、トイレを作ったりするためには現金が必要だという。

トレッキングを終え、尾根づたいに下山した。ふもとには小さいが電線も、車も通れる道もある。この村でも民族衣装に身をつつんだ女性が畑仕事に精を出していた。我々はこの村で再度トラックに乗り込み、チェンマイの街へと帰る。
雨季にかかっていたのに、一部山道がぬかるんでいたものの、トレッキング中は雨に降られずにすんだ。チェンマイに戻るトラックの中で雨が降り出し、チェンマイはしっかり雨だった。
下山してチェンマイ

ナイトバザールの裏にあるBARなのだが、トレッキングに行く前にもここで飲んだ。その時、トレッキングに行くんだといってあったので、再度行ったのである。ちゃんと覚えていてくれて歓待してくれた。客と一緒にトレッキングに行ったこともあると言う。夕方から夜中まで飲んで2人で800Bも飲んでしまった。
彼女:「今晩一人で寝るの?」
私: 「いや、こいつと二人で」
彼女:「女の子は好きじゃないの?」
私: 「そういうわけじゃないんだけどね」
カオサン(バンコック)

言わずと知れたバックパッカー集結の地「カオサンロード」。バンコクに戻ってきた我々はバンコクの宿をカオサンに置いた。衣料品、旅行用品、食事、航空券、偽学生証、安宿、などなど旅をするのに必要なアイテムがここには全てそろっている。
しかし、チェンマイでエアコン、温水、テレビ、冷蔵庫付きで一部屋一晩250Bのゲストハウスにいた我々には、カオサンの宿は高かった。独房みたいのなら安いのもあるんだけど。結局、ファン&冷水シャワーのこぎれいな280Bの宿に投宿する。
翌日、深夜午前0時15分発のエア・インディアはしっかり約8時間遅れ、我々は空港近くのホテルに収容されバンコクで1泊増えてしまった。エア・インディアはホテルを用意してくれたので、高級ホテルに未明から朝まで1泊。
計画と費用
当時は、1USD=25THBで固定されていた。1USDは94.5JPY、つまり1B=3.78円。この旅行は中学、高校時代の友人と男二人旅行、とにかく最安値が正義だし、基本は割り勘。飛行機だけ手配して、他は現地で。
飲食代は別で1人68,000円くらい。多分、飲食や、成田までとか、コミコミで10万くらいだったんじゃなかろうか。この頃の僕らにとっては、それほど「安い」わけではなかったけど。良い旅だった。
1. 航空券 59,300円
HISでタイの国内線区間を含め予約、発券した。包括旅行運賃、いわゆる格安航空券。がんばって最安値をゲットした。バンコクに到着した当日の夜行バスでチェンマイに行くというスキルはまだなかった。
NRT/BKK/NRT [Discounted YLIT10//BKK] JPY46,500
BKK/CNX/BKK [SOTO Y THB3,300] JPY12,800
2. 宿代 1,950円
チェンマイ(NICE PLACE G.H.) 250B x 3泊 = 750B
カオサン (TOURIST HOTEL) 280B(ファン、水シャワー)

カオサンで泊まったこの宿には、ロケーションもよく、部屋の広くて清潔で、その後も何回かお世話になったのだが、いつのまにか、なくなっていた。
トータルで、1人あたり1,950円。※ 最終日のBKKの余計な1泊は遅延したAir Indiaのおごり。
3. 観光 6,370円
2泊3日のトレッキング 1,600B(1人あたり)、 チェンマイ観光のトゥクトゥク 170B

4. 飲食代 不明
チェンマイのナイトマーケットの飲み屋で800B飲んだのは、本文の通り。
Appendix.
後日追記。



カオサンの今昔。
左からカオサンの南を並行に通る小道。しばらく後で来た時はオシャレな服屋がいっぱい並んでいた。
真ん中は、当時の日本人が集まっていた日本語の通じる旅行会社兼メシ屋、行ったことはない。
右は、路上の国際学生証の偽装店。国際学生証があると、美術館とかいろいろ割引&無料になるので、使い勝手がよかった。学生じゃなくてもココで作ってもらえた。
さて、山の方の番外編


パイプを加えたおばちゃんもかっこいい。夜、我々外国人のために夜遅くまでキャンプファイヤーのように火を炊いてくれて、最後まで付き合ってくれたおばちゃんと、妙齢というには若い少女、ちょっと眠そうだった。