投稿者: asaiarito

  • 1998 アジア横断~1.中国~

    1998 アジア横断~1.中国~

     この旅行はサラリーマンではなく、転職の合間にせっかくだから一度はやってみたかった長期旅行をしてみようというもの。この年の3月に、旅行人から「旅行人ノートアジア横断」というガイドブックが出たところ。バックパッカーのゴールデンルートを踏破する。

     ざっと3か月で、陸路でイスタンブールまで行こう。この旅行は、当時のパートナーだった織姫(仮名)との二人旅。彼女が主に記していた旅日記から編集した(記事中の旅人のお名前は呼称か仮名になっております)。青文字部分は僕の記述。

     7月17日に東京を出発して、大阪からフェリー「蘇州号」で上海へ、ひたすらシルクロードを西に向け移動。カシュガルから郡主ラーブ峠を超えてパキスタに入るまでの31日間。

    9月17日 名古屋まで

    9月18日 大阪港を出港

     展望風呂、Good!明るいうちに入ろう。緑の水だった。でも気持ちいい。今日は台風で船が動かないそうだ。まだ大阪が見える。

     船内はBeerが150円、免税で買える。船内のレストランで夕食、それほど高くはない1540円。

    9月19日 瀬戸内海

     早朝、ありさんに起こされて、朝焼けを見た。いつの間にか船も動いていてきれいだった。大きい橋の下を船でくぐりぬけたのはめったにない経験だ。

     朝食は、パン、ゆで卵、サラダ、スープ、コーヒーで無料。

     昼食は、野菜ラーメンやチャーハンをいただいた。1,210円。

     18時頃、関門海峡を通過した。

     夕食は、小籠包、ごはん、ザーサイスープ、牛肉の鉄板焼きで1,760円。

     毎日ごはんが美味しくて幸せ。また食べすぎ。外海に出てきて、だんだん揺れてきました。

    9月20日 東シナ海

     8時に朝食。高菜饅頭、小籠包、カスタード饅頭、ハム、おかゆ、黄桃、ザーサイ。

     今日からは、日数が延長のため、レストランの食事が無料です。12時に昼食、揚げた豆腐とキャベツ等の炒め物、冬瓜スープ、ごはん。デザートが食べたい。

     18時、夕食、無料。黒白タケノコ炒め、スープ、Beer。Beerは150円。

     夜食用のどんべいX2、200円x2=400円。マリービスケット250円、ジャスミンティー300円。

     また食べた。

    9月21日 上海

     朝、起きたら上海に着いていた。ビルの上のほうは霧で曇っていて見えない。

     ★両替:20000円→1221.8元。

    9月22日 上海

     缶を集めるおばさんが、ありさんが飲み終わるのをじーっと熱い視線で待っていた。テレビ塔の前の記念撮影のおじさんのシャッターを押してあげたら、おじさんたちはニコニコとしていた。蘇州号で一緒だった親子などに会って、ご挨拶。

     moon pieの専門店が、見つからない・・・見つかった。

     夕食は南京東路の天天旺文火鍋城で火鍋。おいしいけど難しい。75元+10元(茶)。

    ★両替:10000円→610.8元

     買い食い。芝麻球1元。←アツアツでおいしい。日本のより大きい。

     今日は一日中歩きっぱなしで疲れたけど、エンペラーのお家の家具や廊下、庭が面白かったし、買い食いもいっぱいしたし、夕食の火鍋も、めっちゃくちゃ美味しくって満足満足でした。店長さん、ありがとう。夜景も一段と派手でキレイです。何かあったかな?

     水上茶室10元x2 = 20元。緑茶とポットが出てきて飲み放題。まわりはおじさんおばさんのラブラブカップル。

     ホテルのバーで、Beer10元x2=20元。ありさんが、シャワールームの前で待っていて、一緒に風呂上がりの一杯をしに行きました。ありさんの部屋はうるさい日本人学生のたまり場でお部屋でくつろげないのでかわいそうです。

     織姫の部屋は、5人部屋で、場所は不便だけど茨城の学生の子や、名古屋に2年間いたアメリカ人や二人組のフランス人で、みんな親切で初めてのドミトリー体験はとても楽しく過ごせました。わーい。

    9月23日 西安行きの列車

     昼食は車内販売の弁当15元(ごはん+おかず)。夕食は車内販売の弁当 5元(ぶっかけごはん)。 デザートに昨日の月餅を食べる。卵黄入りだった。黄身以外は美味しかった。

     西安に近づくにつれ、田んぼばかりだったのが畑に変わった。こんな広い平野は初めて見た。それが全部途切れることなく耕されているのだからやっぱり中国は人がいっぱいいるのだろう。レンガの家が多く、本で見た通りだった。もっと中を見てみたいもんだ。

    9月24日 西安

     今日、兵馬俑へバスで行ったとき、タクシーのおじさんに騙されてへんな博物館に入ってしまった。一人20元も払ってしまい二人してムッとしました。本物の方はさすがという感じで、昔の中国はすごいと思いました。ああいった技術はどこにいってしまったのだろう。食べ物だけは今もvery goodで、刀削麺も見かけたし、そこらのおじちゃんや若者が手打ち麺を作るのだからすごい。

     今夜の夕食もすばらしかった。西安の名物らしいが、丸い固いパンを細かくちぎり、それをスープと春雨などで煮込んでくれる料理なのだが、ちょっと油っこいけれど、大変味わい深いスープで今までに食べたことのない感じのものだった。付け合わせの唐辛子みそや香菜にんにくの酢漬けも、とっても良かった。お値段も高級そうなところで食べたのに、13元とお手事でした。

     夜、20時にお部屋で石田ジャージ嬢と会い、火車の時間までいろいろとお話しました。彼女は仏教美術に魅かれて中国へは2回目の渡航だそうです。ほとんど汽車中泊で10日間という鬼のような予定で頑張っていました。かわいい顔をしてすごい。でも、日本人がみんなジャージで歩いていると思われるのはちょっと、、、こういう人と出会えるのも楽しみの一つです。

    9月25日 西安

     昨日の夜は、あまりのうるささによく眠れず、体がだるかった。西安の城壁に登りました。南門の観光客でにぎわっているところから、和平門まで歩きました。2Kmくらいを荷物を全部かかえてトコトコと二人で歩きました。城壁の内側の方が古い町並みで、学校帰りの子供たちがキャーキャーと走っていました。始皇帝のすることはずいぶん大きいなあと、また思いました。

     今は嘉峪関に向けて列車に乗っています。途中で本物の蒸気機関車を見ました。織姫が風邪ひきなのを見かねた隣のベッドのおじさんが鼻につける薬と痛み止めをくれました。薬剤師さんのようです。おじさんは、その他にも色々と世話を焼いてくれました。ありがとう。

     今回は中国人の真似をしてカップめんを食べてみました。みんな一緒でなんか楽しいです。ありさんに買ってもらったザクロも何年かぶりに食べたのですが、種が面倒くさいけれど結構おいしかったです。汽車の窓からプッペッと吐くのが、また中国人ぽくておきに行きです。明日も一日汽車の中です。

    9月26日 嘉峪関へ

     朝、目がさめたら一見砂漠のような丘陵地帯を走っていた。土壁の四角く囲われた家が建ち、羊が放牧されていた。イギリスの風景を思い出した。昨日の一枚岩の山と川の風景とは全く違う世界に見える。

     ゴビのあたりでお弁当10元(昼食)を購入。どうやらこのあたりがゴビ砂漠らしいが、私の想像する砂漠とは違い、草がちょびちょび生えていて、結構羊がいたりするのでがっかりだ。これはこれで面白いけどね。ここいらの甘粛省だけで、日本の3倍あると、外科医のおじさんが言っていた。

     西安からずっと気になっていた焼羊を食べました。炭火で焼き立てがおいしいけれど、すぐ冷めてしまいます。とーってもスパイシーで美味しくて、二人でもりもり食べました。あー幸せ。焼羊だけではちょっと物足りないので、ゴマパンを買いました。おいしそうなミカンと洋ナシのデザートも買いました。今日は久しぶりに紅茶をいれようと思います。

     嘉峪関の町は、妙に道路とアパートが整っていて、面白みに欠けます。ホテルは40元の割にきちんとしていてバスタオル、歯ブラシ、石鹸、スリッパなどのアメニティーも充実しています。お風呂もトイレもあるので、張り切ってお洗濯しました。

     ここ2日くらい、風邪ひきでとっても苦しかったけど、ようやく回復してきました。ただ、ありさんにうつしてしまったようで、ありさんがダウンしそうです。かわいそう。

    9月27日 嘉峪関

     今日は楽しみにしていた万里の長城の端っこを観光しました。関所の方も面白かったけど、私は山の上まで伸びている長城が気に入りました。思ったよりは簡単に登れたけど、急な坂と階段でヘトヘトになりました。確かに、見晴らしがよく、見張りをしたりするのに便利だし、敵も攻めにくい場所だけど、作ることが非常に難しかったと思います。よくこんな遠くまで力がおよんだもんだと、またまた始皇帝に脱帽です。

     夕食は亜龍酒棲にて。空心菜のニンニク炒め4、羊肉のスパイス焼8、ザーサイと肉のスープ4、ビール3、ごはん小0.5×2で20元。

     本日のお夕食は素晴らしかったです。お店のお兄さんお姉さんもニッコリよ感じよく、内装は竹と緑でなかなかいい感じでした。そして、何といってもお料理がとても美味しくて、さらに安かったので、とっても幸せでした。ここ数日、カップラーメンなどが多く、ちょっと栄養不足だったのも補えました。織姫ばかりが、あんまりもりもり食べるので、お店の人たちがじっと見ていてちょっと恥ずかしかったです。ありさんが風邪のせいか、食欲がなくビールまで残してしまいました。明日は休養の日なので、ゆっくり治してね。

    9月28日 嘉峪関

    ★両替 20000円→1205.34元 

     本日のお仕事は敦煌行きのバスの切符を買うことです。朝一番に銀行に行き、両替をし、その足でバス停まで行きました。保険が要るという噂もあり、難しいかもと思いきや、お姉さんがコンピューターであっというまに発券してくれました。

     そのまま市場の中を歩いていると、おいしそうなワンタン(水餃子)を食べている人がいたので、さっそくありさんと二人でチャレンジしてみました。ちょっと辛めのスープでワンタンもやわやわツルっと美味しかったので、それまで体調の悪かったありさんまでもりもり食べました。その後、よく煮込んだお肉を細切れにして丸いパンに挟んだのも(肉夾饃:ろーじゃーもー)も食べました。西安でも食べたいと思っていたので、嬉しかったです。お味は結構こってりボリューム満点でパンがちょっと香ばしいのがよく合っていて織姫はまたまた満足です。

     ぶどうも、とってもジューシーで甘すぎず、美味しかったです。リップクリームを買ったらストリベリーとかチェリーの香りのしかなかったので、お姉さんのおすすめのストロベリーにしました。ファンシーな香りがありさんのお気に入りです。

     今夜のごはんも大成功でした。亜龍の食事がこれで最後だと思うと残念です。帰りに赤い梨をデザートとして買いました。どんな味だろう。ホテルでテレビをつけると、何か舞台のようなものをやっていました。よく見たらひと月くらい前の中国の大変な洪水で活躍した軍人さんたちを讃える式典でした。その時のエピソードを劇にしたり歌にしてあったりと、わずかひと月の間でこれだけのことをしてくれるのかと感心しました。皆、ついこの間のことなので、余計心にグッとくるようで、涙なくしては見れないです。全体的にNHKホールでやったものを放送しているような感じです。

    9月29日 敦煌へ

     今日はバスで移動だったので、今までの列車の移動と違いトイレも自由に行けないのでちょっと不安でしたが、20分くらいの休憩が2回くらいあり、運転手さんも親切なおじちゃんで、全員が揃うのを待ってくれていたので、本で読んでいたのとはずいぶん違うなあと思いました。

     中国人の平均的な朝食に食べられる揚げパンは、創造していたのとは違い、結構固く、カリカリとしていて、まるでかりんとうのようで美味しかったです。

     そして、今日、とうとう中国式のトイレに入りました。一つ目は嘉峪関のバス停で、縦の溝をまたぐタイプです。足の下を他人のモノがじゃーっと流されていくのです。ヒエーっ。2つ目もやはり同じタイプで王門でした。3つは安西でこれは、いわゆるぼっとん便所のしきりが小さくて戸のないタイプという感じでした。ほとんどが私一人の時に入ったのでどうということはなかったけれど、トイレの形態よりも、きれいになっているかどうかの方が重要な気がしました。

     そしていよいよ敦煌に来ましたが、ジャージ嬢は見かけていません。彼女はどこにいるのでしょう。

     嘉峪関から6、7時間の間、きっと退屈するだろうと思っていたけど、逃げ水や、小さな竜巻を見たり、地平線まで続くゴビ砂漠や山を見たりしていたら、とても楽しく移動できました。安西あたりから綿花畑をみかけるようになり、敦煌は綿花の収穫の最盛期のようです。馬車いっぱいに綿花を積んだトラクター?がそこいらを走っています。

     敦煌でも美味しいレストランが見つかりました。ドミで一緒になったお兄さんが、ジャージ嬢に会ったそうです。

    9月30日 敦煌

     中国シルクロードのメインイベント、莫高窟へ行ってきました。入場の仕方や場所がわからなくて、二人で勝手に入ってしまいましたが、どうやら必ずガイドがいて、鍵を開け閉めしながら見て回るシステムだったようです。私たちは幸い、ツアー客でごった返している時にまわったので、ほとんど見ることができたようです。

     観光客の少ない、今の時期はタクシーのおじさんたちも客取りに必死で、シェアする相手がいない私たちでも2人で30元で行ってくれました。

     思っていた以上に入ることのできない窟が多かったのが残念でしたが、壁や天井一面に描いてある文様や立体的な仏様など、もっと静かにじっくり見たいと思いました。砂漠の中の崖に窟を掘り、信仰の証(対象?)にしているのが面白いです。それも、ずーっと長い年月をかけて、それぞれ違う時代の人が作っているのです。私は最後の方で見た、寝仏とお弟子さんの部屋が気に入りました。また、ご本尊が部屋によって違うのも面白いと思いました。紙芝居のようにエピソードを表しているものや、仏様の世界を描いているものなど、もっと勉強していれば色々面白いかもしれません。外壁はコンクリートで固めてあったけど、もともとは木造の入り口(楼?)があったそうなので、その頃に見てみたかったです。

    10月1日 敦煌

     今日はゆったりぶらぶらする予定でした。朝はゆっくりお寝坊して12時までお部屋の皆さんとおしゃべりタイム。その後、ニコニコ食堂で情報ノートの初体験をしつつ、イマイチなお昼ご飯を食べました。ノートの方はこの日記と同じく、他人には面白くないことがほとんどでしたが、たまには面白いこともあったかな。伝言ノート的な役割が多かったなあ。

     夕食は三峡レストランで、ザーサイと肉のスープ、黄瓜とお肉の炒めもの、しいたけと青菜の炒めもの。で31元。西涼果酒というフルーツビール的なやつ4元。

     3日間通った三峡レストランも今日で最後です。奥さんがとても感じがよくて気持ちよくお食事できました。そして鳴沙山にも2日間も通ってしまいました。今日は同室の人々に誘われて80元もするラクダに乗ってみましたが、昨日行けなかったところへ登れたし、観光したなって気分も盛り上がって楽しかったです。今日は昨日と違って余裕をもって歩いたので、人の行っていないところもも通ることができたのでご機嫌です。ラブラブ中国人(たぶん新婚カップル)が、ゴミを捨てていたのはちょっと気になったけど、彼らの国だものね。それでもやっぱり鳴沙山はきれいでした。

     今日の午前は、ありさんと二人で綿花畑を見に行きました。たまたま今日は建国記念日だったので、途中でピンクの服のおばさんたちが踊るパレードも見ることができました。あと、いたるところで爆竹がなっていました。綿花畑は思いのほか、遠かったのですが、お天気は晴れだけど、涼しくて、気持ちよくお散歩できました。綿花畑は、とてもいい場所が見つかったので、きっといい写真が撮れていると思います。

    10月2日 トルファンへ

     本日はトルファンに向けて移動の日です、が。15時までドミでダラ~っとお話したりごはんを食べて過ごしました。柳園までのバスも千波ちゃんと3人で、楽しく過ごせました。列車の切符も割と簡単にとれ、時間までの間、夕食は茄子のニンニクソース、トマトと卵炒め、豚肉炒めを食べ、美味しかったです。そして、久しぶりのロールケーキを買うことができました。

    10月3日 トルファン

    ★両替 10000→601元@オアシスホテル

     今日は非常に盛りだくさんな1日でした。朝、トルファンに着いたとき、時間は7時30分くらいなのに、まだ真っ暗の夜中という感じでした。そして町までのバスは道なき道を通り、小川を渡り、揺れまくりました。

     そしてホテルに着いたとたんに、1日観光に出発です。朝10時に出発して夜20時に戻りの長い一日ツアーでした。途中、いんちき観光地に連れられて行って、ついつい10元を無駄にしてしまいました。

    10月4日 トルファン

     羊が足を縛られて、ロバ車にいっぱい詰め込まれていてちょっとかわいそうでした。でも、シシカバブーは美味しいです。パイ包みもgoodだったので、明日の朝ごはんにしようかな。

     トルファンはブドウ棚がきれいで、小川があるためか、空気もしっとりしていていいかんじです。ワンピースを1日で作ってくれる店を教えてもらったので、ちょっと迷っています。

    10月5日 トルファン

     今朝はやっぱり羊パイを食べました。その後ぶらっとバザールを歩いていたら、千晶さんと、千波さんに会ったので、そのままブランチへ行きました。にんじんピラフや餃子などを食べた後、羊のローストも食べました。とても美味しかったけど食べきれませんでした。おじさんがおまけしてくれたようです。

     昨日のニラスープ餃子は山椒辛くて口にあわなかったけど、今日の玉ねぎ餃子はわりといけました。でも嘉峪関のスープ餃子が一番でした。もう行くことはないと思うけど、もう一度食べたいです。デザートにメロン味のジェラートを食べました。さっぱりとして甘すぎず、美味しかったです。昔のメロンシャーベットの味でした。午後はお部屋でハガキを書いたり、女の子3人でお化粧の話などをしてにぎやかに過ごしました。楽しかった。

     今夜は敦煌で会った男の子たち3人と、千波さん、千晶さんや関西人など10人でお食事会をしました。ローランの赤ワインも飲みましたが、一応ジュースではなくワインでした。中秋の名月でお月様がまん丸でとてもきれいでした。

     お部屋へ帰ってからは、みんなでにぎやかにアニメソングなどをうたって盛り上がりました。今までになく夜更かしで3時くらいまでおしゃべりしていました。

    10月6日 ウルムチへ

    ★両替 20000円

     今日はいよいよウルムチへの移動日です。楽しかった女の子部屋も終わりで、千波ちゃんと千晶ちゃんは先にカシュガルに向かいます。ありさんと織姫はウルムチで2泊した後追いかけますが、もう一度会えるかな?大学生の男の子たちが1日遅れでウルムチにくるはずですが、Wの部屋にチェックインしてしまったので、会えないかもしれません。なかなかいい子たちで、かわいかったので残念です。

     ウルムチは都会なので、防寒服を買う予定です。夕食はレストランで豪華にする予定だったけど、ついつい屋台で砂鍋を食べてしまいました。昆布や肉団子、レタス、糸こんにゃくなどが色々入っていて美味しかったです。その後、火鍋もちょっと食べました。かわいいお姉さんが鍋から取り分けてくれます。色々な野菜がちょっとずつ食べれてよかったです。香菜がもりもりたべれて贅沢気分でした。

    10月7日 ウルムチ

     今日は朝から天地観光です。9時20分集合で、バスに揺られること2時間30分。現地に近づくにつて雨が降り始め、気温も下がってきてなんだかイヤな予感。天地に着きましたが、やっぱり大雨で、それもめちゃくちゃ寒くて。さらに、山も全く雲に隠れていて見えません。そこで、ついつい、カザフのパオでご飯というのについていきましたが、それがびっくり、長方形のなんちゃってパオだったのです。食事もバター茶と冷めて固くなった甘くないドーナツとパサパサになっ固くなった蒸しパンと、溶けた飴だけでした。ドーナツもまあまあ美味しく、羊バターを入れたバター茶も私は結構いけましたが、なんだかわびしい食事で満足とは言えませんでした

     ありさんと、きっとまだ若い夫婦でパオも持てなくて、とっても貧乏なんだろうと話をして、30元という高いお金も諦めました。人はとってもよさそうで、赤ちゃんもかわいかったのだけど、まるで料理しようというそぶりもありませんでした。ま、こんなもんかな。

     その後、雨も上がり青空が見えてきて景色はきれいでした。中国にはめずらしい景色でした。湖があり、湿度もあって(雨が降ったし)、お肌にはいい感じでした。ウルムチで買った化粧水も今のところいい感じです。16時30分に天地を出て、19時にウルムチに到着です。

     それから、夕食を食べに出かけましたが、また昨日の屋台の火鍋に行きました。お姉さんの感じがお気に入りです。今日は白いスープに少し辛いスープもまぜてもらいましたが、どちらもおいしかったです。贅沢に野菜がとれていい感じです。

    10月8日 カシュガルへ

    ★両替 10000円→673.37元。なんと1USD=120円まで円高。

     いよいよカシュガルへの長い移動の日です。厚い上着は結局買わなかったけど、タイツを1枚買いました。これとホカロンでなんとかなるでしょうか。寒いところの旅行はそれだけで洋服というかさばる荷物が増えるので大変です。

     バス停へ歩いている途中「おーい!」と声をかける人がいて、また物売りかなんかだと思い無視しかけましたが、よく見てみると先日トルファンで別れた馬の調教師の男の子でした。彼と再会したのは13時半くらいでしたが、16時のクチャ行きのバスまでブドウを食べているところでした。休学生くんと、卒業したてくんは、今日天地に行っていると聞きました。また、どこかで会えるといいね。

     バスはなかなか発車しなかったけど、結構いい席をゲットできたので、まあ良しとしよう。

    10月9日 カシュガルへ

     今日は終日バスの中。ウルムチ~カシュガルはバスで2泊3日の旅。

     朝食は炒飯と焼きそばで17元、高い。ヨーグルト1.5元。

     12時頃、庫車を通過、コーラを3.5元で買う。

     17時頃、梨を1kgで3元で買う。

     19時過ぎ~23時頃まで、クチャからアクスまで大渋滞。

    10月10日 カシュガル

     昨日から調子の悪かったありさんが、熱でダウン。食欲もなくノドも乾かないと言ってます。水分をいっぱいとって、明日には元気になるといいね。がんばれ。

     夜、チベットからヒッチで入った男の人(久永さん)がやってきました。自分で食糧を確保したそうなので、思いのほか元気そうでしたが、やはり話を聞くと大変そうです。池田さんという21歳のかわいい女の子と4人でご飯を食べました。あまりの量に食べきれませんでした。

     夕食、4人でシェア、20元(二人分)。

    10月11日 カシュガル

     ありさんが毛皮の帽子を買いました。とっても暖かくてパキ越えの時に使えそうです。私もウイグルナイフを買いました。高かったのか、相場なのかわからないけど、結構切れそうです。小さいナイフをお土産に買おうと思います。

     今日は新たに4人の人がドミに来ました、大和さん、ぷーさん、百合子ちゃん、井口くんです。なんだかにぎやかになってきて楽しいです。ありさんが早くよくなるともっといいのにね。夕食は鶏肉と玉子のおでんと、シシカバブでした。おでんがとっても美味しかったので、ありさんにも食べさせたいな。

     毛皮の帽子150元、ウイグルナイフ110元、イチジク5個2元、ビール3元、砂糖かけパン5角、スイカ(丸)1個5角、羊肉まん5角x3。

     今日は日曜バザールの日です。羊パイ5角、水3元、チョコレート1.5元、プルーンジュース1.5元、焼き芋8角、バナナ5本9元、ビール2元、シシカバブ7角x2、鶏肉5元、玉子7角。

    10月12日 カシュガル

    ★両替 10000円→698元、イエーイ!

     昨夜はちょっと私まで体調悪めでしたが、今日はOKです。Exchangeついでにお昼の買い出しです。職人街ではついつい寄り道。

     ヨーグルト1.5元、夕食38元。

     夕食前にありさんと1時間ちょっとお散歩。久しぶりの外出にありさんはちょっとお疲れ気味。今日はちょっと豪華な中華を食べました。スペアリブ煮とトマトと玉子のスープと白菜炒めです。どれもとっても美味しかったけど、二人には量が多すぎて苦しい。ありさんも汗だくで頑張って食べたので、元気がでてくるかもしれません。

     絵葉書セット20元、切手5元x2。

    夜はおとなりの部屋に遊びに行っておしゃべり。45歳の中国に1年いる人と、32歳(にはみえない)の坊主頭のインド方面から来た人、と麻耶ちゃんの4人です。パキスタンのチャイとクッキーが楽しみになりました。いろんな人がいるもんだ。

    10月13日 カシュガル

     今日はありさんが抗生物質をのんだところ、あれほど苦しんでいた咳がずいぶん止まりました。朝(北京時間では昼)も、45歳のおじさんと麻耶ちゃんとマリービスケットでティーブレークしました。麻耶ちゃんに玉子ボーロのようなお菓子をもらい、中国のお菓子も結構いけると思いました。

     ありさんの調子もずいぶん良くなって、お昼のあと、郵便局へ一緒に行きました。ようやくバザールが一緒に歩けて嬉しかったです。千晶ちゃんに再開、彼女な先にタシュクルガンへ千波ちゃんと行って帰ってきたところ。

     AirMail5元。

     夕食は、パキスタン料理の店へ。千晶ちゃんと池田さんとシェア、19元。Red Bull6元。パキスタン人おすすめの店だけあって、カレーもチャパティーもチャイもラッシーもvery good!!!久しぶりのキュウリのサラダも嬉しかったです。ありさんもずいぶん元気になりました。明日は千晶ちゃんにワンピース作ってくれるところんとチャイハネに連れて行ってもらう予定。

    10月14日 カシュガル

    HAPPY BIRTHDAY ARITON !

     今日はありさんの誕生日です。何をプレゼントしようかな。大物としては羊やロバかな万

     本日のBirthday Dinnerは羊しゃぶしゃぶでした。ゴマソースがとても美味しかったです。麻耶ちゃんがウルムチで会ったVickyさんと、Felixさんと千晶ちゃんとの6人で食べました。みんな英語がしゃべれるようになりたいねと話しました。ありさんにプレゼントするようなものは残念ながら見つかりませんでした。プレゼントはまた今度ね。

    10月15日 カシュガル

    ★両替  10000円→687元

     今日はようやく念願かない、エイティガール寺院へ行くことができました。中に入ると麻耶ちゃんがチケットもぎりのおじいちゃんと盛り上がっていて、私もムスリムのお祈りの仕方を習いました。今日は色々買いました。インスタントコーヒー(50元)など、漢民族が経営している店でいろいろなものを買いました。もうすぐパキに向けて出発なので、おいしいものをいくつか仕入れておこうと思います。パキスタンカレーは美味しいけれど、毎日だと思うと今のうちに中華などをいっぱい食べておきたいです。でも、今夜のジョーンズカフェのステーキはさっぱりでした。やっぱり、西サモアでもどうだったように、地元の人が食べているその土地の食べ物が美味しいようです。お茶も美味しいものが買えました。

     日曜日に会った、あやしいおばちゃん2人組にお茶の店で会いました。彼女たちはいったい何者なのでしょうか。明日はまたホテル移動です。仲良くなった麻耶ちゃん、千晶ちゃんとも今日でお別れ。

     スカーフ30元、インスタントコーヒー50元、お茶200gで36元。

    10月16日 カシュガル

     今日はパキに向けてカシュガルで3軒目のホテルに移りました。明日の朝10時(北京時間)にチケットを買って、12時に出発です。ここで、また蘇州号(9月18にち発)の人と同室になりました。20歳の男の子です。彼はsemanで(敦煌ウルムチで会った)青年二人組に会ったそうです。彼らは今、どこに?

     今夜の夕食は大成功で、屋台食べ歩きでした。ありさんに食べさせてあげたかった鳥おでんの玉子や、もう一度食べたいと思っていた豚肉の水餃子、砂鍋を食べました。鳥の足はラオスのものよりぷよぷよと太っていて食べるところがいっぱいあり、さすが中華だけあって味も美味しかったです。ただ、太っている分だけ、肌の触感がちょっといまいちでした。

     おいしいお食事の後、ホテルへ帰りロビーで中国の英字新聞を見つけ、10日くらい前のものでしたが、久しぶりにニュースを仕入れることができました。小渕さんが、従軍慰安婦とかの戦争責任で正式に謝罪し、イランがちょっと戦争を始めそうな雰囲気だということがわかりました。1ドルが112円にまで一時なったようだし、いったい何がおこっているのでしょう?

     そして、部屋に戻ると、例のおばさん2人組が実は隣の部屋で、さらに明日パキに行く様子なのがわかり、私はともかく、ありさんはへんなりしてしまいました。せめて席は遠いといいね。

    10月17日 タシュクルガンまで

     いよいよパキ越えへ出発です。朝、バス停に行くとさっそく例の二人組がいましたが、彼女たちはカラクリ湖で降りるとのこと。12時出発のところ、12時半という非常によいスタートになりました。

     途中も何の問題もなく、美しい山々を通り抜け、パオの横も通りましたが、あいにく黄色い空気が美しさを半減させていて、とても残念でした。カラクリ湖ももっと天気が良ければ深いブルーに見えたそうです。そして、タシュクルガンですが、あまりの寒さに二人ともすべての服を着こんだまま寝ました。

     次はパキスタン編につづきます。

  • 1998 ラオス

    1998 ラオス

     直接の動機は、ユナイテッド航空のマイルが貯まったので、ビジネスクラスでバンコクまで行きたい。そういえば、ラオスって最近ちょっと耳にするし、1998年はラオス観光年をやっているらしい。

     メコン川下りは面白そうだし。ルアンプラバンは世界遺産になったばっかだし。もしかして、旬がきてるんじゃないか?

    19981年日程宿泊
    25APRNRT 1835 ✈ BKK 2255 UA875便 ビジネスクラスバンコク泊
    26APRバンコク観光
    夜行バス:チェンライへ
    車中泊
    27APRバス:チェンライ→チェンセン
    ゴールデントライアングル観光
    ソンテウチャーター:チェンセン→チェンコーン
    チェンコーン泊
    28APRラオス入国
    フエサイ観光
    フエサイ泊
    29APRメコン川下りルアンプラバン泊
    30APRルアンプラバン観光ルアンプラバン泊
    01MAYルアンプラバン観光
    LPQ 1630 ✈ VTE 1710 QV106
    ビエンチャン泊
    02MAY友好橋を渡りタイ入国
    夜行列車:ノンカーイ→バンコク
    車中泊
    03MAYバンコク着バンコク泊
    04MAY水上マーケット観光バンコク泊
    05MAYBKK 0850 ✈ NRT 1430 UA827 ビジネスクラス
    成田着
    NRT:成田 BKK:バンコック LPQ:ルアンプラバン
    VTE:ビエンチャン
    UA:ユナイテッド QV:ラオ航空

    Day 1. バンコクまで

     空港に着いたのが遅かったので、タクシーでカオサンまで。織姫はバックパッカー初めてなので、ちょっといい目のNANA PLAZAに投宿する。A/C、Hotshowerで700B。なんと、4/25-26なノンアルコールDayということで、カオサンについてもビールが飲めない。コーラとかオレンジジュース。

    Day2. チェン・ライへ

     今日の夜行バス(VIPバス、一人550B)でチェンライに向かう。それまではやることがないので、カオサン周辺を散策。チャオプラヤー川を渡る渡し船にのって、あちこちいったり、果物を買ったりする。

     カオサンからミニバンでバスターミナルに移動し、21時15分にチェンライ行きのバスがバスターミナルを出発した。

    Day 3. ゴールデントライアングル

     8時にバスはチェンライのバスターミナルに到着。すかさず、チェンセーン行きのローカルバスに乗り換える。8時40分発で10時10分着なので、約1時間半ほど走った。チェンセーンの町で朝食をとり、ゴールデントライアングルまでソンテウで向かう。

     ゴールデントライアングルといえば、麻薬生産の秘密基地のようなイメージだが、すっかり観光地になっており、近くの少数民族の子どもたちがこんな風に観光客相手に出稼ぎをしてくれた。写真は、もちろん有料。

     ここは、タイとラオスとミャンマーの3国国境となっており、メコン川を使って中国の雲南省の西双版納との水運がある。中国の船も来ている。

     メコン川といっても、この辺はだいぶ川幅は狭い。ここからみたラオス側の風景。これから行くラオスだ。

     ゴールデントライアングルをひとしきり観光して、ソンテウでチェンセーンに戻る。ここから、ラオスとの国境の町、チェンコーンに向かう。チェンコーン行きのソンテウがあるはずなのだが、見つからない。

     たむろしておしゃべりしているソンテウのドライバーに尋ねたところ、チェンコーン行きは、もう昼過ぎには終わっているとのこと。

     それでは、予定が狂う。ソンテウドライバーと交渉して、400Bで眼の前のソンテウをチャーターにしてチェンコンに行ってもらう。いざとなれば、金で解決するのが、サラリーマンバックパッカーの強みだ。

     チェンコーンに到着。メコン川に面した、対岸にラオスを見るこのホテルで一泊(400B)。夜になると、こちらは電灯で明るいし、あちらは真っ暗だし。

    Day 4. ラオス入国

     こちらはタイを出国して、振り返ってとった写真。はい、パスポートにはちゃんと出国のスタンプを押してもらった。

     そして、こちらが、メコン川の渡し船。国際航路ですよ。国際線。

     そして、船で渡ったこちらが、ラオスの入国。

     さてさて。ラオスの入国のスタンプを頂いた、とは言えない状況。イミグレは、両替もやっているんだが、今日はどうも両替の売上がよくなかったらしい。賄賂を払うか、もっと大金を両替するか。とのご要求。我々も1,000Bを62,000Kに両替したけど、金額としてはしょぼいレベル。

     今日、ここの国境を越える日本人は我々含めて6人。これくらい集まると交渉力がある。要求は断固拒否。あっちも、じゃあVISAは出せないパスポートは返さない。パスポートの返却は明日の9時で、それまで指定したホテル(1泊250B)に泊まって外出しないように、とのお達し。こちら我々日本人は、そんなこと意に介さず6人でホテル探しをして1泊180Bでホテルと交渉。街歩きやぶらぶら観光し、夜は結束を固めたのだった。

     そんな激しい交渉の傍ら、国境警備の警官と仲良くなって、銃を持たせてもらったり(撃たせてはくれなかった)。基本、フレンドリーなんだよね。

     チェックインしたホテルからみたフエサイの町並み。

     昨晩は川の向こうで一泊し、今日は川のこっち側で一泊。1日かけて、数百メートルの移動。国境は越えたけどね。

    Day 5. メコン川くだり

     さて、今日はこの旅のメインイベントのメコン川くだりの日である。

     朝食をたべて、イミグレへ。パスポート&VISAの授与式みたいになっている。いや、そっちが悪いんだけどな。しかも、どういう訳かわからないけど、一人100Kを払った。6円くらい?

    スピードボート

     いよいよ、メコン川の川下りが始まる。船着き場はこんな感じで、日本人の団体5人がスピードボートに乗り込む。

     ルアンプラバンまで一人300Bだ(なぜかタイバーツ払い)。昨日、一緒にラオス入りしたのは6人だったけど、1人は別ルートでラオスの奥地に進むらしい。なので5人。

     すれ違うスピードボート。こんな勢いでメコン川を下った。本当はスローボートで数日かけて下るのもいいんだろうけど、サラリーマンバックパッカーはそうはいかない。

     途中にチェックポイントのようなところが点々とあり、エリア毎にその地のオフィスにいってスタンプをもらう必要がある。そして、たいていいくらか払えと言われる。善悪はともかく、100Kくらい払えば顔が立つならと払うこともあるし、拒否することもあるし。

     途中に立ち寄る村では、飲み物くらいは買えるのだが、Yes/NoもOne/Two/Threeも英語が通じない。なんとかなるのはタイ語のみ。

     メコン川の船は観光ばかりではなく、地元の人たちの重要な移動手段でもある。この辺の少数民族の女性たちが民族衣装で乗ってきたり。

     また、メコン川周辺に住む人々の生活を垣間見ることができる。

     夕方になって、ルアンプラバンに到着。子どもたちがメコン川で水遊びをしている。

     ルアンプアバンの船着き場だけど、こんな感じ。ここからソンテウで市内まで出て、RamaHotelというちょっといい目のホテルに投宿(2泊で49,000K)。

    Day 6. ルアンプラバン

     ここにきて、フエサイで両替した現地通貨のキップも使い果たしたので両替をしないといけない。なんなら、ビエンチャンまで飛行機で飛んでしまいたい。

     世界遺産になっている有名な街、ルアンプラバンであるが、銀行に行っても日本円は両替できない。米ドルのT/Cもダメ。ここでお金として認識されるのはタイバーツと米ドル現金だけらしい。とりあえず、米ドル現金持ってたので両替。

     それから、ラオ航空のオフィスに行き、ビエンチャン行きの航空券を買おうとしたのだが、ここも米ドル現金しか受け付けない。エアラインならクレカ使えると信じてた。米ドル現金はそんなに持っていない。日本円の現金と米ドルのT/Cしかないんですけど・・・と、しばし相談。航空会社で航空券を購入するという証明書をつくってもらい、その証明書をもって銀行に行くと、US$のT/CをUS$の現金に両替してくれるという。200USDのT/Cを195USDの現金に交換できた。これでなんとか、航空券を購入。

     ルアンプラバンからビエンチャンは陸路でバスもあるのだが、国道沿いでイマイチ治安が悪いという情報があったので、飛行機とれてよかった。

     これで、VISIT LAO YEARなんだぜ?って我々日本人旅行者5人はそろって首をかしげるのだった。

     ようやく、観光を開始。ルアンプラバンは世界遺産の街にもなっている。近くの織物の村を訪問した。買い物もした。

     路上の焼き鳥に舌鼓をうったり、美味しかった。

     ルアンプラバンは世界遺産の街で、こんな緑につつまれて多くの寺院が点在している。小高い丘に登って見下ろしてみた。まあ、一言でいうなら「素朴」という言葉しか思い浮かばない。

     夜は、メコン川を共に下った日本人5人で宴会をした。狭い街なので歩いていると必ずすれ違い、メシに行こうという話になる。

     ここからは、皆それぞれの計画で散り散りになっていく。大急ぎでバンコクに戻り帰国しなきゃいけない仲間もいた。今、ここにいて間に合うんか?とか。(後日談:間に合ったらしい)

    Day 7. ルアンプラバン

     午前中に、ルアンプラバンの残りの観光を済ませておく。

    パークウー洞窟

     まず、ボートをチャーターしてパークウー洞窟へ。

     メコン川の絶壁にある洞窟。中には所狭しと仏像が並んでいる。ただ、ひたすら仏像が並んでいる。特に秩序はない。

     ボートはチャーターで30,000K、見物料は4,000Kであった。

     昼食の写真。ビールが2,000K、スープ麺が1,000K、野菜炒めが1,500K。キップの紙幣がまるで食券のようで、食券何枚?って感じで出ていく。

    ワット・シェントーン

     寺巡りということで、まずはワット・シェントーン。ルアンプラバンを代表する寺院だということだ。別に入場料はかからない。寺なのでお布施をするのはご自由に。

     こんな感じで、びっしりと書き込まれた壁画がすごい。

    ワット・セン・スッカラム

     こちらは赤い。こちらも美しい。

     壁画がすごすぎる。ふつうに寺なので、こちらも入場料のようなものはない。観光客も特にいない。

    ルアンプラバンの空港

     さあ、これからあの飛行機に乗りますよ。炎天下の滑走路に長時間放置されていた飛行機は、我々が乗り込んでから電源が入れられた。つまり、機内はサウナ状態だ。CAが凍ったウェットティッシュのようなものを1枚ずつ配っていたがそんなものでも、ないよりはまし。ちなみに飛行機はソ連のアントノフAn-24を中国でコピーしたY-7という双発のターボプロップ。

     そんな灼熱の機内は、離陸後高度を上げると、湿度を含んだ機内の空気が急に冷やされ、霧となり機内が白煙でつつまれたかのようになる。ふっと、一瞬で霧がかった機内ではどよめきが聞こえるが、機内の温度も下がっていき、快適になってきた。

     無事、ビエンチャンに到着。

    スタンプラリー

     ラオスでは、県?を移動するたびにポリスチェックがありスタンプをもらう。パスポートに押してあるのは、入国のスタンプ。、別紙として国内でのスタンプ帳が渡される。

     首都ビエンチャンは、さすが首都だった。クレジットカードで払える1泊25ドルの高級ホテルに宿泊した。

    Day 8. ビエンチャン~タイ

     あったあった!カンボジアでもあったけど、昔フランスの植民地だった国にはある、フランスパン。フランス直伝のバゲットは本当に美味しい。

     ビエンチャンのバス停から国境までのバスに乗る。国境までバスで30分、運賃は1人400Kだった。国境では、まずラオス側の出国手続きをする。それから、メコン川にかかる友好橋を渡るわけだが、この橋は、シェアタクシーで1人1100Kかかる。徒歩で行けたかどうかはわからない。橋を渡ると、タイ側の入国手続き。

     フエサイの国境とは全然違う。

    タイ入国

     ノンカーイの駅までTukTukで100Bで移動。

     ノンカーイの駅に到着した。今夜のバンコク行きのA/C付き寝台特急のチケットを購入。二人で1,166Bだった。

     あとは、昼食をとったり、橋を見に行ったり。列車の時間まで特にやることもなく、ベンチで寝たりして過ごした。

     列車は19時にノンカーイを出発。列車の中では、食事の注文を取りに来てくれたので、ビールと、タイ風のスープを注文(あわせて200B)。食堂車じゃなくて、自席まで持ってきてくれて、下げてくれる。美味しかった。

    Day 9. バンコク

     列車は6時10分にバンコク中央駅に到着した。

     カオサンパレスホテル(A/C、HotShower、ダブルで450B)に投宿。値段相応か、部屋がとても狭い。

     この日は、SiamSquare方面に出かけ、マクドナルドを食べたり、バンコクの都会を満喫。夜はパッポン夜市で夕食、あとおみやげ物を買ったりなど。

    Day 10. 水上マーケット

     有名な水上マーケット。カオサンから往復200Bのツアーバスがあったので、来てみた。結構楽しめて、来てよかった。

    Day 11. 帰国

     朝、ドンムアン空港に移動し、ユナイテッド航空のビジネスクラスで帰国。

    雑感

     旬がきてるんじゃないか?と期待したラオスであったが、まだ早かったのでは?が感想。その分、素朴で不便な旅行を楽しめたので、わくわくしたけど。世界遺産のルアンプラバンですら、ただ寺があるだけで、観光客へのお膳立てはほぼ無いに等しかった。

     一方、日本人バックパッカーの結束と協力は本当に素晴らしかったし、ラオスに来るくらいなので、みんな旅慣れているベテランで学ぶものも多かった。

    計画と費用

     1USDは132円。アジア通貨危機の影響でタイバーツは1USD=40Bくらい。1Bは3.3の計算になる。

     ラオスの通貨はキップだが、両替の記録はこんな感じ。

    4/28(フエサイ)1000B → 62,000K18.8K = 1円相当
    4/30(ルアンプラバン) 100USD → 240,100K18.2K = 1円相当

     なので、タイバーツの現金からの両替がやや良い。ちなみに、ラオスでは日本円の現金は両替できず。ドルのT/Cも両替困難であった。

     トータルで現地費用が78,270円。半分弱が航空券とVISA代。ホテルはちょっとずついいところを選んだので高め。食費は、ラオスは激安といってよいだろう。

    1. 航空券とVISA 230USD = 30,360円

     ユナイテッド航空のマイレージプラスで50000マイルが貯まったので、東京のUAのオフィスで、二人でビジネスクラスでバンコクまでの無料航空券を取った。

     ラオス国内線はルアンプラバンのラオ航空のオフィスで購入。米ドル現金のみということで危なかった。一人55USD x2 = 110USD。

     ラオスVISAはフエサイの国境で、一人60USD x2 = 120USDで取得。支払いはタイバーツで2,400Bx2だった。ビザ取得の顛末は本文に記載の通り。

    2. 移動+観光費 15,633円

    4/25Taxiにて空港→カオサン 220B
    4/26チェンライまでのVIP BUS 550 x2 = 1,100B
    チャオプラヤー川の渡し船 1 x2 = 2B
    4/27チェンライBT→チェンセーン BUS 20 x2 = 40B
    チェンセーン ⇔ GoldenTriangle  ソンテウ 10 x4 = 40B (往復)
    チェンセーン→チェンコーン ソンテウ貸し切り 400B
    4/28メコン川の渡し船(国際線) 20 x 2 = 40B
    フエサイ内の移動 Taxi 500K
    4/29Taxiにて船着き場 2000K
    メコン川下りのSpeedBoat ルアンプラバンまで 300 x2 = 600B
    Taxiにて船着き場から市内へ 2000K
    4/30レンタサイクル 4000K
    織物の町までTukTuk 5000K
    5/1TukTukでルアンプラバンの空港へ 3000K
    Taxiでビエンチャンの空港から市内へ 5500K(7000Kを3人でシェア)
    5/2Busで国境の橋近くへ 400 x2 = 800K
    シェアTaxiで橋まで 1100 x 2 = 2200K
    TukTukでノンカーイの駅まで 100B
    A/C付寝台特急でバンコクまで 583 x2 = 1166B
    5/3バンコク市内をTukTukで乗り回す。60+60+70+80+80=350B
    5/4水上マーケットを見に行くツアー 200 x2 = 400B
    5/5Taxiで空港まで 250B

    集計すると、4,308B+26,200K =15,633円

    3. 宿泊費 13,143円

    4/25カオサン NANA PLAZA A/C Hotshower 700B
    4/27チェンコーンの宿 400B
    4/28フエサイの宿 180Bで約束して、支払いは11000K
    4/29-30ルアンプラバンの宿 2泊で49,000K
    5/1ビエンチャンの宿 25USD なんとVISAカードで支払いができた!
    5/3-4カオサン カオサンパレスホテル A/C Hotshower、狭い 1泊450 x 2 =900B

     集計すると、2,000B+60,000K+25USD = 13,143円

    3. 食費 19,134円

  • 1998 サモア

     久しぶりに海外旅行の計画が立った。目的地は、太平洋の真ん中、日付変更線のすこし 東側にあるサモアという国。サモアへは、フィジー経由、ニュージーランド経由などがあるが、 今回は特別な旅行であり、ビーチリゾートがテーマなので、ハワイ経由とする。

     なんでサモアかっていうと、南の島で平和で、日本人がいなくて、その割に日本で知名度があって。 という理由。往路のハワイでの1泊もなかなか楽しめた。

    旅程

    1998年日程宿泊地
    05APRNRT 2125─(UA826)→HNL 0920
    ホノルル観光
    ホノルル泊
    06APRホノルル観光
    HNL 1740─(HA465)→PPG 2200
    パゴパゴ泊
    07APRPPG 1455─(PH249)→FGI 1535
    Samoan Village Resorts
    サモア泊
    08APR中央市場観光、ポリネシアショーサモア泊
    09APRリゾートサモア泊
    10APRマノノ島観光サモア泊
    11APRウポル島観光(パパセーアの滑り台、ピウラ洞窟プール、
    パロロディープ、ティアビの滝
    サモア泊
    12APRイースター参加、ビーチにピクニックサモア泊
    13APRFGI 1700─(PH260)→PPG 1740
    PPG 2335─(HA466)→HNL 0544+1
    機中泊
    14APRHNL 0850─(UA827)→NRT 1200+1機中泊
    15APR成田帰国

    編集中

     いろいろ旅行をしていると、今更ハワイなんてと気恥ずかしい気分もあるが、何といってもハワイ。 旅慣れた人も、海外旅行が始めての人も無条件で楽しめる。ショッピングもスポーツも、夜遊びだって 何でもあるし、手の届くところに用意されている。サモアからの帰りにもホノルルを少しだけ経由 したが、ホノルルまでくればもう日本に帰ってきたも同然という感じでリラックスできるのである。

     写真はいわずと知れたワイキキビーチ。後ろに見えるのがダイアモンドヘッド。  スケジュール変更で西サモアに直行できず、いったんアメリカンサモアに飛んだ。 ホノルルのパゴパゴ行き登場口には、出稼ぎ帰りのサモア人でいっぱい。みんな、2人分 くらいの大きさのある人たちばかりで、我々のようなスモールサイズの人間は 白人も含めても数人。これはもしや、相当やばい国にいくのでは、と内心ちょっと不安になった。

     案の定、大きな人たちはエコノミークラスの座席に収まりきるわけがなく、一人に2座席ずつ 割り当てられていた。そして片足を通路に出す。みんな巨体で、さすが小錦の 故郷だなぁと感心するばかり。でも最初はなんだか怖くて、慣れるのに時間がかかった。

     パゴパゴでは国内線の到着とは思えない厳重ぶり。荷物は開けられるし、入国審査はたいへんだし。 到着は10時過なのに、空港の周りは週2便の出迎えで熱気むんむん。タクシーの運転手のお任せ で Rain Maker Hotel という、たぶんパゴパゴで一番のホテルに泊まった。この島は観光するような ものは何もなく、一応アメリカの一部なのだが、忘れ去られている島のような感じがする。

     写真は、ホテルのビーチサイドから見たパゴパゴ湾。遠洋漁船の中継基地になっているらしい。 ツナ缶の加工工場があり、主要な産業になっている。正面の山が Rain Maker 山。 通貨は米ドルが使えるけど、物価はアメリカより少し安い。

     この旅行の行き先を西サモアにしてから西サモアでの滞在ホテルを探していた。 Internetを駆使して、西サモアの主立ったリゾートホテルは数軒しかなく、うち2つは アピアの街中にあり、もう2つは島の南側のビーチ沿いにあり、我々が選んだのは島の 西の端のビーチリゾート。ファレというサモアの伝統的な建築様式によるコテージで、 リビングと寝室、キッチン、バスルームとスイートの体裁を保っている。海に面した バルコニーがあり、またハネムーンスイートという我々の泊まったコテージには プライベートプール(ジャグジーというべきか)までついている。

     残念ながらビーチ自体は大昔マングローブの森だったというだけあって、一見 きれいなビーチなのだが、一歩足を踏み入れるとずぶずぶと足が沈んでいく干潟状態。 そのかわり、リゾート内にきれいなプールがあり、24時間泳ぐことができる。 プールサイドにはレストランがあり、陽気なサモア人の女性が朝、昼、夜を作ってくれる。 ただし、メニューはすべて西洋料理。作っている女性も、「まったくパランギ(白人のこと) の食事なんて」と馬鹿にしているので、味は押して知るべし。作っている本人が不味いと 思っているのだから美味しいわけがない。本当は材料を仕入れてきて自炊するのが一番 だと思うが、我々は結局まったく自炊をしなかった。材料を入手する術をまったく知らなかったのだ。

     よく観察していると、どうやらここは西サモアで働いている欧米人や、リッチなサモア人が週末 バカンスにくるのに最適らしい。コテージ脇まで車でつけられるし、キッチンはちゃんとしているし。 ただし、ここのオーナーのボブは大変世話好きの老人で、我々は大変気に入られいろいろ便宜を図って もらった。彼のキャラクターでもっている民宿のようなリゾートホテルだ。経営とサービスファシリティー としては、ココナッツビーチリゾートのほうが洗練されている。

     アピアの市場。このゴロンとしているのが「タロイモ」。味はざくざくした里芋の巨大なもの。 市場では、さまざまなイモ類、バナナ、パンの実、魚、ナマコなどなど。東南アジアの市場とは ずいぶん品種が違う。肉類は乏しく、鶏肉、牛肉を始め穀物類、調味料などはほとんど輸入に頼っている そのため、食料品の物価は国のイメージからはだいぶ高い。ハワイと同じくらいか、あるいはそれ以上 高く感じる

     ビールはサモア国産のバイリマというビールがあり、これは美味しい。2WS$で約100円と納得のいく値段。

     マノノ島はホテルのビーチの沖に浮かぶ小さな島。一周2時間かけてゆっくり歩いた。車はないため 道はすべて小道である。島の裏側はほとんどジャングルで、バナナの木やタロイモの林の中を歩いたりする。
     時間があれば、マノノ島で一泊ゆっくりしたかったのだが、忙しく観光して回ったので、日帰りだった。マノノ島にはいくつかの村が周囲に点在する。どの村も小さく、一族という感じである。ガイドブック等には 村ごとに入村料のようなものを取られると書いてあったがそのようなことはまったくなく、のんびりした時間が ながれている。

     途中の村で、酋長さん?とも思える大きな立派な人と出会い写真を撮らせてもらった。この人の家の前には 立派な競争用のカヌーが飾ってあった。きっと偉い人なのだろう。

     渓流の自然の滝を滑り降りる。滝は何段にもなっており、滝壷に落ちるのだがなかなかスリルがある。 滑るところは本物の岩なので決して滑らかではなく、ゴツゴツしているので勢いをつけておりないと少々 痛いことになる。小一時間は遊んでしまった。

     この日は一日タクシーをチャーターして島の中の観光ポイントを回ってもらうことにした。1日チャーターで 200WS$、約1万円。多分、少々高いのだろう。二人で割れば許容できるか。高級リゾート ホテル(高級民宿?)に泊まっているのだからケチケチしてはいけない。

     アピアより東に20kmほどいったところ。学校の敷地の裏手に洞窟プールがある。海に面したこの小さな池 は驚く事に淡水である。奥は洞窟になっておりさらに別の洞窟プールにとつながっている。奥の洞窟は真っ暗で 光の届かないところまではちょっと入れない。湧き水なのだろうか、透明度は非常に高く水中でも広く見渡せ たくさんの魚が泳いでいる。

     我々が泳いでいると、地元の子供たちや大人たちが現れ、お風呂タイムとなってしまった。シャンプーしたり 体を洗ったり、洗濯までしている。ただ水は常に海に向かってあふれ出しているのでプールの中の水は濁らない。

     アピア港のすぐ近くで透明度は期待できないと思っていたが、今回訪れた海の中では一番きれい。 透明度も20m以上はあるだろう。ビーチから20分くらい沖に向かって歩く。水深はずっと膝程度。 そこに「Palolo Deep」と書いてある看板が立っており、そこに深さ30mの穴があいている。 場所自体はリーフの内側なので波もなく、透明度も外海よりは悪いのだろうが、スノーケリングには 最適である。珊瑚もカラフルで活き活きしており、少々刺された。魚影も濃く、カラフルな熱帯の 魚たちが「うじゃうじゃ」いる。

     ここで、我々はサモアで始めて他の日本人カップルに出会った。観光ではないらしい。

     アピアから島の南側に抜ける、横断道路がある。峠は標高700m余りにもなり霧のかかる ジャングル地帯である。峠を越えたところから見えるのが落差90mのサモア最大の滝である。

     我々は島の南側にあるココナッツビーチリゾートへ昼食をとるためにこの道を通った。 ココナッツビーチリゾートでの昼食は美味しかった。ここではやはりオーナーの白人の老人が 仕切っているのだが、我々のホテルのオーナーとはだいぶ違いやり手のようだ。客もたくさんいるし サービスもきちっとしている。我々のホテルのサービスは大変フレンドリーで決して悪いわけではないが、 比較すると、手腕とやる気の違いを感じざるを得ない。しかし、ココナッツリゾートは洗練されているぶん、 物足りなさを感じる。なにせ、我々のホテルでは6泊の長期滞在者の我々はでかい顔ができるのだ。 せっかく田舎の国なのだから田舎臭くてもいいか。もうすこし飯が美味ければなぁ。

     実は我々はまったく知らなかったのだが、我々がサモアを訪れている期間、サモアではイースター だったらしい。そのため、後半の日々は商店は閉まり、前半に忙しくショッピングをせざるを得なかった。

     サモアには小さな村が何千とある。その村はそれぞれみな一族で構成されているのだが、一つの村に 教会が軽く3つや4つあるのだ。ちゃんとキリスト教が布教され根づいているのだなぁと感心するが、 カソリック、プロテスタントなどなど、それぞれのキリスト教の宗派ごとに教会があり、同じ村に たくさんの教会があるという図式はおもしろい。

    イースターは大変熱心で、この日のために前日まで夜遅くまで歌の練習の歌声が聞こえてきた。 写真の教会はカソリックの教会でイースター当日、きれいな合唱を聞く事ができた。別の教会では ロック調のノリノリのイースターをやっていた。一族の中で同じキリスト教徒で、宗派がちがって 行く教会が違うって?うーん。キリスト教おそるべし。

     サモアのビーチといえばパラダイスビーチが有名だが、ここはそのすぐとなりの名もないビーチ。 遠浅の入り江になっていて、20分ほど泳ぐとリーフの上に出る事ができる。リーフの外側では 波が高く崩れていて泳ぐ事はできそうにない。リーフ上では小さなサメが水面を切って泳いでいた。

    この日の昼飯はホテルの料理を作ってくれる女性にサモア料理のお弁当を作ってもらった。 ボールいっぱいのジャガイモ、ボールいっぱいのタロイモ、ボールいっぱいの中華風春雨さらだ、 ロブスター一匹、焼いた魚2匹。とても二人で食べきれる量ではない。結局、この日の夜、翌日の朝と 3食分食べてもまだ余った。

    これがハネムーンスイートファレで、建物自体は他のファレと一緒で全部スイート。 岬の先端に立っていてロケーション的には最高の場所。丸い池のようになっているのが プライベートプール(ジャグジー)で海に沈む夕日を見ながらのんびりつかっている こともできる。到着日にはシャンパンのボトルを1本プレゼント。

    1. 航空券など

    航空券:アクロスで予約発券、

     成田-ホノルルが64,000円。

      ホノルル-パゴパゴはYRP7(US$699)、

     パゴパゴ-サモアがYE30(US$90) で107,000円。

     他TAX5,000円(各1名分)、

    ホテル:ホノルルが、シェラトン・モアナ・サーフライダーのデラックスオーシャンビュー。 US$490をUAのホテル半額券をつかい、US$245(1泊1部屋)。

    サモアのホテルは、Samoan Village Resorts に直接FAXで予約。 ハネムーンスイートが6泊シャンパンつきでUS$825。

  • 1997 マレー半島

    1997 マレー半島

     タイのバンコクから、マレー半島を南下してマレーシアを縦断し、シンガポールまで。 2つの国境をこえ、ビーチリゾートを転々とし、ジャングルを抜け、中華料理に舌鼓をうつ。 豪華列車、オリエントエキスプレスも走る同じレールの上を列車で移動する。 深夜特急にも含まれるメジャーなルートだ。

    旅程

    1997年日程宿泊地
    25APRNRT 1355 ✈ 1855 BKK UA821バンコク泊
    26APRバンコク観光
    夜行バス:サムイ島へ
    車中泊
    27APRスラ・ターニで乗り換え
    正午にサムイ島
    サムイ島泊
    28APR砂浜のヤシの木しかないビーチで暇に過ごすサムイ島泊
    29APRフェリー+バス:マレーシア入国、ペナン島へペナン島泊
    30APRジョージタウン観光
    ビーチへ
    ペナン島泊
    01MAYフェリー+マレー鉄道:KLへKL泊
    02MAYKL市内観光KL泊
    03MAYマレー鉄道:シンガポール入国シンガポール泊
    04MAYシンガポール市内観光シンガポール泊
    05MAYSIN 0800 ✈ 1545 NRT UA890
    成田帰国
    NRT:成田 BKK:バンコク SIN:シンガポール UA:ユナイテッド航空
    UAオフィス(東京)で予約発券
    NRT/BKK//SIN/NRT [BJZP/UA] JPY102,310

    バンコク

     UA821便は定刻通りバンコクに到着。大急ぎで入国し、ドンムアンの駅から列車で バンコク中央駅に急ぐ(5B)。19:30にバンコク中央駅につき、スラターニ行きの寝台列車を 予約しようとするが、今晩も明日の晩も満席という。

     しかたがないので、とりあえず カオサンへ。旅行代理店で明日の晩のサムイ島行きのAircon BUS + Ferry を250Bで予約。

     バンコクの道路では相変わらずバイクがレースをしている。

    サムイ島

      サムイ島行きのバスは1時間遅れて19:00にバンコクを出発。晩飯を食いそびれる。

      翌日7:30にスラターニに到着。バスを乗り換え、8:30に港へむけて再出発。10時のフェリーに 乗り込む。フェリーの中でホテルの客引きが写真をみせていろいろアピールしてくる。その中の一つのコテージを借りて、ビーチでほっとしたのが正午。

     ここは天国だ。白い砂浜とやしの木しかない。海は延々遠浅でいくら沖にでてもひざまでしかない。 水も透明で温かく、浸かりっぱなしで気持ちいい。 観光客もオフシーズンのためか、僕のほかに数人いるだけ。時間がとまったように長く感じる。 サムイ島のメインビーチから遠く離れているため、アクティビティーもなく、波の音以外 なにも聞こえない。押し売りもお土産やもない。天国だと思ったのに、ものの数時間で 退屈してしまった。でもいいところ。

      ビーチ沿いのコテージは、Hot Shower(本物)つきで1泊200B。周囲にはやしの木と 海以外なにもない。レンタルバイクを1日150Bで借り、島のにぎやかなところに遊びに行ったりする。メインビーチは、高級リゾートホテルが数軒たっていて、 お土産屋もある。海はやっぱり僕の泊まっている辺りのほうがきれいだ。

    ペナン島

     一人旅で、とにかく退屈なので先に進むことにする。南下のルートは ハジャイ行きのバスがある。宿のマスターに相談して、一気に国境を越え、 マレーシアのペナン島までのBusをとる(550B)。

     まったく大移動であった。6:20に宿を出発、8時のフェリーに乗り、延々バスで南下する。 ハジャイに到着したのが15:00。ここでバスを降り、ペナン行きのバスのでる旅行代理店に行く。 ペナン行きのバスは16:30にハジャイを出発。高速ミニバスなのでスピードは速い。 17:30に国境を越える。17時を過ぎてしまったので時間外料金で10Bかかる。時計を1時間すすめ、 22:00にペナン島のジョージタウンに到着。

     65階だてのビル「コムタ」に上ると、ペナン島のジョージタウンが一望できる。

     宿はジョージタウンにとる。サムイのコテージから比べると天と地の差である。 シャワーは水だし、部屋は汚いし、高いし。

     いざビーチへ。リゾートエリアの中心、バトゥーフェリンギまでバスで1時間(1RM$)。 海はサムイ島に比べると、透明度は低く、急深で泳いだりつかったりするのには 不向き。パラセールやマリンジェットなどのアクティビティ向けである。 泳いでる人もほとんどいない。みな、高級リゾートホテルのプールで泳ぐように なっている。僕は何食わぬ顔でホテル前のビーチを歩いていたが、ビーチから一歩 ホテル側は宿泊者以外立ち入り禁止。ホテル内で楽しめる施設が充実しているようだが、 海としては魅力に欠ける。

     お皿にご飯を盛ってもらい、好きなものを好きなだけそれにぶっかける。 僕は、チキンカレーと野菜炒めをぶっかけた。これで3RM$。どれをどれだけ とるといくらになるのか、ちゃんとした計算式があるのだろうが、わかるわけもない。 ビールが1本4.5RM$を追加して7.5RM$が晩飯代。おいしいし、好きなものが好きなだけ 食べられるので大満足。

    クアラルンプール

     ペナン島からバタワースまでのフェリーはなんと無料。8時発のKL行きの急行に乗る。 2等車で28RM$。定価よりもなぜか安い。オリエントエクスプレスなどのTVをみると、 なんだかうっそうとしたジャングルのような中を走る場面があるが、なぜかそんなシーンは まったくない。急行列車は日本の特急と同じで、窓は開かず、エアコンは効いている。 スピードもベトナムの特急に比べると比べ物にならないくらい速く、静かで、ゆれない。 車内に鶏もいなく、まったく近代的な乗り物である。タイの部分では鉄道に乗れなかったので 期待していたのだが、あっけないほど普通で14:15にKLに到着した。ジャングルと自然を堪能する のなら、やはり東海岸線を選ぶべきだったのか。

     真っ白で見事なイスラム様式の駅。

     KLでは午後2時ごろと、午後7時頃の2回スコールが規則正しくくる。で、とにかく暑い。 チャイナタウンに宿をとる (Backpacker’s Lodge)。トイレ・シャワー共同で30RM$。ファンもなく、換気扇のみ。 部屋はまぁまぁきれい。20RM$の部屋もあったのだが、窓もなく、階段の下で暗くて狭い。夜はまわりに屋台街が広がり、ロケーションは便利。

     人種のるつぼといわれるマレーシアの首都だけあって、中華街、インド人街、インドネシア人街 とあり、歩く人々もさまざまだ。近代的な高層ビルがたち、モスクがあり、中華街では屋台が並ぶ。 ただ、観光客が街をぶらぶら歩いて楽しいものは何もない。しかたがないので、セントラルマーケットで お土産の買い物にいそしむ。セントラルマーケットはそこそこ観光客向けのショッピングモールで 買い物をするぶんには面白い。さっさとKLを出発して、マラッカにでも寄ればよかったなぁ。

    シンガポール

     7:30にKLをたち、国際急行でシンガポールへ。料金は34RM$というのは料金表通り。 隣の乗客のチケットはもっと安かった。どうも、Not refundable などの制限をつけた割引運賃が存在するらしい。列車はスムースに走り、ジョホール水道をわたり、 あっという間にシンガポールに到着した(13:20)。イミグレを抜け、町へ。 バスがわからなかったので、最寄りの地下鉄駅まで歩く。

     安宿街(というほどのもんでもないが)ベンクーレン通りへ行き、客引きにつかまり S$22の部屋におちつく。トイレ、シャワーは共同、壁は薄いベニア1枚。隣人はラジカセ鳴らしてうるさいし、反対の隣人は午前3時ごろ帰ってきてうるさいし。窓はないし。 いっそドミトリーのほうがましだったか?タイからきてだんだん物価が高くなってくるので 宿のランクはどんどん下がる一方。街もどんどん刺激が少なくなるので、逆ルートのほうが おすすめだと思う。

     シンガポールといえは、ショッピングというので、高級デパート街へ行った。 高級デパートには超高級ブランドがいっぱい入っており、僕のような旅行者には なにがなんだかわからない。

     シンガポールはごみのポイ捨てで罰金。ガムをかんでると罰金と、街の美観を 損ねる行為を厳しく取り締まっていることで有名だが、さぞかしきれいだろうと 思うと、意外と、日本よりずっと汚い。いたるところにごみは落ちてるし、見えないところはごみの山。これくらい厳しくしないと、 ごみだらけになってしまうので、厳しくしているんじゃないかなぁ。と思うほどである。 

     シンガポールもいろんな人がいる。工事現場のの看板が5カ国語で書いてあったりする。 アラブ人街へ行けば、モスクもあるし。アラビア文字も見かける。インド人街のリトルインディアにはお土産におもしろそうなものがいろいろ売っていた。

     晩飯はホーカーズという、屋根付きの屋台街(ビルの中にある)が安くておいしい。骨肉茶(バクテー)とライスでS$3.3。骨肉茶とは、にんにくやら香草で豚肉を煮込んだ スープ。

     遠くからでも、ドリアンを売っているところが嗅ぎ分けられるほど異臭を放つ 果物の女王。ひとつお土産にと、S$20も払って丸ごと購入。厳重にTシャツでくるんで ビニール袋で2重に縛って、リュックの底に隠して、リュックをさらに大きな 袋でくるんで。

     みごと空港のチェックインカウンターで嗅ぎ分けられ、ドリアンは飛行機には 乗せられないと拒否されてしまいました。仕方がないので空港のごみ箱に捨ててきました。 きっと、その後、空港中に異臭を放ったことでしょう。日本の植物検疫は、東南アジアのドリアンは持ち込み可能になっているのだが、 飛行機に持ち込めないのではどうしようもない。まったく。

  • 1997 カンボジア

    1997 カンボジア

     カンボジアといえばアンコールワット。まだ完全とはいえないが 徐々に治安を回復しつつあるカンボジアでゆったりとアンコールワットを観光してきた。 いまだ内戦の傷痕がなまなましく、いたるところに銃などの武器があふれている。

     人々は他の東南アジア諸国と変わらず、明るく親切だ。日本人観光客も大変多く、 何の問題もなく旅行できた。但し、我々がカンボジアを去った数日後に、我々もお世話に なったプノンペンのレストランのすぐ近くで日本人男性2人組が銃をもった強盗に襲われる など、まだまだ危険な事件がおきている。

    旅程

    1996年日程宿泊地
    26DECNRT 1355 ✈ 1855 BKK 1855 UA821バンコク泊
    カオサン(W120B)
    27DECBKK 1100 ✈ 1215 PNH 1215 TG694プノンペン泊
    キャピトル(W5$)
    28DECスピードボート(24$)でシェムリアプへシェムリアプ泊
    260GH(W6$)
    29DECトンレサップ湖と水上生活の村を観光シェムリアプ泊
    30DECアンコールトム&アンコールワットを観光シェムリアプ泊
    31DECタブローム等、周辺の小さな遺跡群を観光
    日没後のアンコールワットを観光
    シェムリアプ泊
    01JANアンコールワットの初日の出シェムリアプ泊
    02JANスピードボート(25$)でプノンペンへ。
    メコン川クルーズ
    プノンペン泊
    Happy GH(W6$)
    03JANツールスーレン刑務所博物館
    キリングフィールド
    プノンペン市内観光
    プノンペン泊
    Happy GH(W6$)
    04JANPNH 1145  ✈ 1520 HKG KA201
    香港観光
    香港泊
    Super GH(W360HK$)
    05JANHKG 1000 ✈ 1440 NRT UA800
    成田帰国

     プノンペンのキャピトルホテルで24$で手配したシェムリアプ(アンコールワット観光の拠点)行きの高速船。船内は全席指定で映画も上映していた。エアコンも効き快適(退屈)な船旅である。

     トンレサップ川を溯ること2時間で両岸がぐっと遠のき、トンレサップ湖に入る。大きな湖で360度水平線で何も見えなくなり、そのまま3時間ほど走ると、小さな港につき、接岸する。

     なぜ、船かって?

     岸には乗客より多いのではと思うほどゲストハウスの客引きが群がっていて、我々はとりあえず 有名な日本人宿260に投宿することにした。客引きにまかせると、シェムリアプ中心までのバイクタクシー代はただになる。

     プノンペンとの間の船は、小型のモーターボート(モーターを4つもつけていた)があるが、こちらは25$だったが思ったより速くなく帰りプノンペンまで6時間あまり要した。小型のため 波がある部分では激しくゆれる。エアコンも、映画もなく、席もぎゅうぎゅう詰めでトイレにも 立ちにくい。

     トンレサップ湖の湖畔にある小高い丘から湖の集落と湖を眺める。内戦時代の要所らしく丘のいたるところに銃火器が放置してある。見渡す限りの湖はさすが東南アジアNo1である。

     湖の中にまっすぐと土手のような道が進んでいてその周りには水上生活者の集落もある。 トンレサップの岸辺、とは言っても小型船で20分くらいの沖までは、水上生活の人々の 集落がある、家が船の上に建っていて、船の上で生活をしているのだ。子供たちは 無邪気に水浴びなどをしている。少しお姉さんになると家事の手伝いをしていて 大変上手に魚を開いていた。

     アンコールトムは大変広大なエリアを城壁が囲んでいる大きな遺跡だが、城壁の内側にまだジャングルが残っており、中心のバイヨンが観光の中心になる。バイヨンだけをみた場合、ワットと比べてはるかにスケールが小さいが、ところどころヒンドゥーの様式を残していて、リンガもある。彫刻は大変美しく、構造も複雑でたっぷり1日観光できる内容だ。

     あまりにも有名な四面仏像であるが、これが圧巻である。アンコールトムは2重回廊になっているが、改築をかさね、内部には井戸のある部屋もあり構造は複雑である。そしていたる壁に精緻な彫刻がなされ、ガルーダ神や女神デバターなどヒンドゥー神話に 基づいたものや、クメール軍、チャンパ軍の戦いを描いたものなど生き生きと彫り込まれている。

     アンコールワット北西の小高い丘から見たワット。ジャングルの中に忽然と存在する威厳のある姿である。この丘からは大平原に沈む夕日を見ることができる。この丘は団体ツアーの「夕日を見る」というメニューに含まれているので、丘の上は 日本人観光客でごったがえしていて、場所取り合戦までしている。夕日が見えるポイントからは、広大な平野と巨大な貯水池であった西バライが見渡せる。反対側からは夕日を受けて黄金色に輝くアンコールワットを見下ろすことができる。丘に昇るのはとても足元の悪い急な山道の階段もどきを登るので結構しんどい。

     アンコールワットは3重回廊になっている。外側の第1回廊には東西南北の4面にすばらしい浮き彫りが施されており、ヒンドゥーの天地創造神話から、現世のクメールとチャンパの戦い、そして 死後の世界が描かれている。

     我々はなんとなくガイドをしてくれることになったチーヤという10歳の少女に案内されてアンコールの 見所を回った。あまりにも予習をしていなかったので、少女の言葉少ない英語のガイドが大変役に立った。

     モリモトという江戸時代の日本の武士が残していった落書きもちゃんと知っていて連れていってくれた。

     とても我々2人ではそれを発見することができなかっただろう。 神話も説明してくれたし適当に休憩もしてくれ、他のガキ共とちがって押し付けがましくなく優秀な ガイドだった。

     バンテアイスレイの彫刻が有名だが、アンコールワットやアンコールトムやその周辺の小さな 遺跡群にも女神デバダーの像はよく見られる。ふくよかなバストと微笑みを浮かべた顔は 実に美しい。我々はこれを「おっぱいの神様」と呼び、鑑賞した。手の届くところにあるデバダーの 彫刻は道行く人々がおっぱいをさわっていくので、そこだけてかてかと光っているものも多数ある。

     今回は予算(兵士を雇って車で行くので、一人20$くらいかかるらしい)とスケジュールの関係でバンテアイスレイまで足を伸ばさなかったが、そこにはもっとも芸術的に優れているといわれるデバダーの像があるという。 

     ここは、発見の当時から修復をしない約束になっているというアンコールトムからすこし 東にある遺跡である。アンコールワットやトムが今も仏教寺院としての活動をおこなっているのに 対して、ここは完全な廃虚になっており、ガジュマルの木が遺跡を覆い被さるように生えている。 いずれは完全にジャングルに飲み込まれてしまう運命の遺跡であり、自然の迫力を感じることができる。

     今回の旅のメインイベントである、アンコールワットの初詣。バイクタクシーの兄ちゃんに 早朝5時半に迎えにきてもらい、まだ暗闇の街をアンコールワットへと向かった。

     くもり空であったが、東の空はだんだんと明るく白み始め、ワットの少し南側から初日の出が 昇ってきた。周囲は初日の出を拝みにきた日本人観光客でごった返しているが、その多くは 団体客のため、初日を見たらすぐに集合して戻っていった。静かになったワットに昇り、 いつもよりお賽銭を奮発して初詣をしたのだが、 この時、同行の友人は Big problem has come で 苦しんでいたのだった。元旦を一日寝正月ですごした後、夜になって260GHのとなりの薬局で診察してもらい、 薬をもらったら一発で全快した。

     プノンペンは、アンコールワット方面、トンレサップ湖から流れてくるトンレサップ川と 中国雲南省からラオスを通ってベトナムに流れていくメコン川が合流する地点でもある。 ちょうどプノンペン周辺ではメコン川は2つの大きな流れを形成しており、トンレサップ川と あわせて3つの大河が交わっている。中州の島には広大な貧民街が形成されており、ベトナム系の 人々が多数住んでいる。川岸のプノンペンとは大きくその景色は異なり、子供たちは裸足で裸であり、 まるで別世界のようだ。

     我々は船を1時間8$でチャーターし、メコン川やその中州島の周囲を観光した。その船の船頭さんも ベトナム系の出身のようで、ベトナム語を話す。

  • 1996 パキスタン

    1996 パキスタン

     カラコルムハイウェイと,8000m級の山々.中パ国境の標高4600mのクンジュラーブ峠。 そして、初のイスラム体験が当初の目的。 フンザは「風の谷のナウシカ」の舞台とも言われ。確かにそれらしい風景や、かわいいナウシカ達に出会うことができた。

     予定を大幅に変更し。ジープを5日間もチャーターするという贅沢をして、 シャンドゥール峠を越え、チトラールに入り、北部一帯を回ることができた。 イスラムに改宗していない少数民族の村も訪れた。 一人旅のはずだったが、ほとんどの期間を日本人学生君と一緒に行動した。

    旅程

    1996年日程宿泊地
    30AUGNRT 1200─(PK751)→ISB 2000ラーワルピンディー泊
    31AUGワーワルピンディー観光
    夜行バス:ギルギットへ
    車中泊
    01SEPバス:フンザへフンザ泊
    02SEPウルタル氷河トレッキングフンザ泊
    03SEPクンジュラブ峠観光
    (ジープチャーター)
    フンザ泊
    04SEPギルギット経由、シャンドゥール峠へ
    (ジープチャーター)
    ファンダール泊
    05SEPシャンドゥール峠を超えて、チトラールへ
    (ジープチャーター)
    チトラール泊
    06SEPチトラール観光
    カフィリスタンの村を観光
    ディールへ
    (ジープチャーター)
    ディール泊
    07SEPペシャワール観光後,ラーワルピンディーへ
    (ジープチャーター)
    ラーワルピンディー泊
    08SEPISB 0730─(PK752)→NRT(PK752) 2155
    成田帰国

    旅のはじまり

     イスラマバードの空港からタクシーでバスターミナルに直行(250ルピー)するも、その日のバスには間に合わず。 しかたなく、バスターミナル近くの最悪の宿に投宿(150ルピー)する。

     翌朝、ギルギット行きのバスのチケット(250ルピー)を確保。出発まで市内散策。午後1時発の夜行バスでカラコルムハイウェイを北上し、ギルギットへ。15時間かけて翌朝4時にギルギットに到着。

    フンザ

     明るくなるのを待ち、軽く朝食12ルピーを食べる。ミニバスで4時間(50Rs)バス5Rsを乗りすぎ、フンザに到着。昼食はコーラとカレーで41Rsであった。

     ギルギットでばったり出会った日本人大学生と部屋をシェアする。New Hunza Tourist Hotel が一泊120ルピーを2人でシェア。夕食が40ルピー。よい。

     水シャワーの部屋なのだがその水が大変冷たい。それもそのはず、すぐ山の上の氷河からの水がそのままここに引かれて流れている。日中の日差しは強いので、昼間にシャワーして、速攻お庭で日向ぼっこ。

     フンザ川を隔ててラカポシの勇姿が美しい。

    ウルタル氷河

     標高2400mのフンザ(カーリマバード)から、ウルタル谷にそって谷を登る。 朝6時に登りはじめて、3300mのカールに到着したのが午前9時。これを過ぎると谷間に日が射すので格段にしんどくなる(と宿のお兄さんが忠告してくれた)。空気が薄いのが実感できる。

     カールには Lady finger restaurant というテントがあり、コーラやカレーを食べることが できる。150Rsだった。

     カールからは、山々が一望でき、左の尖っているのが Lady finger 、順に右にフンザピーク、ウルタルⅠ峰(7323m)さらに写真には写っていないが、ウルタルⅢ峰が望める。ウルタルⅠの下にはウルタル氷河が流れてウルタル谷に注いでいる。

     時折、氷河の流れる爆音が聞こえてくる。日本人登山家が何人も亡くなっているらしい。

    クンジュラブ峠

     ジープをチャーター(2800Rs)して中国との国境、クンジュラーブ峠を見に行く。カラコルムハイウェイをどんどん上り、国境の町スストを抜け、標高4600mの峠に到着する。峠一帯は高原になっており、高いという感じではないのだが、一歩踏み出すとここが高所であることを実感する。

     ずっと前から一度乗ってみたいと思っているバス。中国の最西の町、カシュガル からパキスタンに入るバスである。中国シルクロードを渡り、カシュガルから、クンジュラーブを越えてパキスタンに入り、ヨーロッパへというのは長期旅行者のゴールデンルートの一つ。勤め人の身分では永遠に憧れのままかもしれない。フンザの宿にも、中国から越えてきた日本人の学生さんがいた。
     そういえば、GWに上海で会った日本人に、これからシルクロードをこえてパキ越えしてヨーロッパへという学生さんがいた。彼は無事にここを通過できただろうか。(後日追記、この旅の2年後に念願はかないました)。

     ここは、パミール高原の一角。空の色が違う。周囲の山はさらに高いのだと思うと感心する。息を切らせながら一歩一歩、中国のポストまで歩いていく。 国境は厳密でなく、そこらへん一帯を歩いても問題はないよう。国境警備員のテントにお邪魔になり、チャイをごちそうしてもらった。

     途中、昼食が45ルピー、コーラが10ルピー。

    パスーの吊橋

     フンザ川にかかる吊り橋。フンザ川はインダス川の支流。流れは強く、渦をまいて流れている。恐る恐る、ロープにつかまりながら渡るが、向こう岸から女の子がすたすたわたってくるので、すれ違うのを避けて戻ってくる。向こう岸は絶壁で、 絶壁に階段状の道がついている。

     フンザの伝統的な帽子をかぶった老婦人。だめもとで写真を撮らせてほしいと 言ったら、意外にも快くOKしてくれた。イスラムの国で、なかなか女性は写真を撮らせてもらえない。田舎町では外国人がめずらしく、興味津々で集まってくるのに、カメラを 向けると、さっとひいてしまう。

     フンザの聖なる岩と呼ばれているらしい。古代シルクロードの人々が記したとか。

    シャンドゥール峠越え

     ジープドライバーの熱心な営業の末、シャンドゥール峠越え、チトラール経由、ペシャワール経由ラーワルピンディー行きのジープをUS$550でチャーターする。宿でシェアする仲間を探すも、みんなゆっくり旅をするということで、なんとか、日本人学生君と350:200でシェア。この先、延々とつづく苦難の道のりが待ち構えていようとは。

     ギルギットから見たナンガパルバット。標高8126mで8000メートル峰であり、こいつがすごいのは独立峰だってこと。ギルギットで昼食32ルピーをいただく。加えてコーラ12ルピー。

     道沿いの人々。この道も点々と村があり、人が住んでいる。この日はファンダールという街まで進んで、汚いホテルに宿泊した、宿代は200Rsを二人でシェア。夕食も45Rsを二人でシェア。

     朝の風景。羊の放牧がなされている。

     夏の間だけ放牧のために存在する夏村らしい村をいくつか通過していく。

     峠に近づくにつれ、標高も上がり、木々は減って岩石砂漠になっていく。

     ジープ道が走ると砂埃がものすごい。外国人を見ると少女たちが砂煙の中を 追いかけてくる。ジープを止めてもらい、写真を撮ったりした。本当にかわいい。

     そろそろ、峠は近いが、行くてを羊の群れに阻まれる。

     いくつもの夏村(放牧のための夏のみの村)を通過し、3720mのシャンドゥール峠に到着する。まさに天上の地を思わせる。大きな湖があり、放牧がされている。 今回、スケジュールの都合で大急ぎで回ってしまったが、本当は4、5日かけて 峠越えを楽しむべきルートである。

     峠で、チャイを頂いた。10Rs。ここは素晴らしい。

      道は大変ハードで、峠越えの最中にパンクが2回、バッテリーが死に絶え、駆動部のパーツを一回交換した。ピカピカのジープはボロボロのジープに変わり果ててしまう。僕らも、ジープを後ろから押したり、貴重なミネラルウォーターをラジエターに献上したりと。まったくお客様気分ではいられない。

     途中、昼食は55ルピーを2人でシェア。チトラールについたのは、もう夜も遅く、ここで一泊。

    北西辺境州

    チトラール

     チトラールの警察で外国人登録をし、カフィール谷への入域許可証をもらう。何があっても自己責任で、という書類にサインをした。

     その際に見せてもらった警察の資料によると、年間のチトラールの外国人は約2000人。その内日本人は200人。シャンドゥール峠を越える この道は一体どれくらいの外国人が通るのだろう。チェックポストのノートによれば、 この日にこの道を通った外国人は我々を含め3人。冬は閉ざされてしまう。

     チトラールの町は、絵に書いたような田舎町だ。すぐとなりはアフガニスタンだけど、のどか。

     宝石商というか、骨董やというか、面白い店を見つけた。店の親父もなんかいい雰囲気だしている。アフガニスタンが近いので、たぶん、そっちの雰囲気。

     英語が堪能で日本から来たというと、ずいぶん感心された。ラピスラズリが名産ということで、いくつかお土産に購入。

    カフィール谷

     チトラール南部のアフガニスタンとの国境付近の谷にはイスラムに改宗していない人々が住んでいる。入域許可を得てこの村を訪ねた。

     ここの人々は、少数民族で、民族衣装を着こなしている。イスラムではないので、写真撮影OK。もちろんチップを払う。

     いくつか宿もあり、本来なら 一泊すべきであるが、帰りの飛行機に間に合わせるため、数時間の滞在でディールを目指す。

    ディールまで

     ロワライ峠からディールまでの道は、トラブルの多い道で、反政府的な村が続き、 銃も持っている。土の煉瓦の家に住んでいる。ここを通過する際はジープは 音楽を止め、静かに走った。

     ロワライ峠(3200m)を越えて今日はディールという町に宿泊する。

     ディールの朝。泊まったホテルは賑やかだけど、悪くなかった。夜は停電する。というか、この辺の電力事情は非常に悪いらしく、しょっちゅう停電するらしい。まあ、そうだろう。

    タフティ・バーイ

     ディールからさらに小さな峠を一つ越え、タフティ・バーイという ガンダーラの山岳仏教寺院の遺跡を訪ねる。中には仏像も残っている。我々はガイドブックも読まずに、ジープのドライバーに観光を任せて いたので、後になってガイドブックを読み直すまで、この遺跡がすごいものであることに気づかなかった。

     この辺りの街道沿いにはいわゆる悪徳警官がたくさんいて、通行する車を止め 賄賂をせしめていた。我々はドライバーとの約束で賄賂はドライバーもちと 事前に取り決めをしていたので、ドライバーは Fuking police を連発しながら いくらかの賄賂を何回か払わされていた。

    ペシャワール

     前も後ろもわからない。我々はこのご婦人方を「てるてる坊主」と呼んでいた。厳格なムスリムなのであろう彼女らは、目すら衆目にさらすことを避け、 こんな格好をしている。こんなご婦人が3、4人集まって井戸端会議をしている図は迫力そのものである。こんなすごいのはペシャワールで初めてみた。逆に顔が見えないので 写真に撮りやすい。もちろん、全員がこうなっているわけではなく、ペシャワールでは全体の 1割くらいの女性である。

     ペシャワールで日本人学生君を降ろして、ラーワルピィンディーへ向かう。 

    ラーワルピィンディー

     この後、高速道路でラーワルピンディーに戻り、高級ホテルのレストランの裏口で1週間ぶりの ビールを100ルピーも払って入手し、ドライバーと別れた。パキスタンの最後の夜を一人安宿で楽しんだのであった。

    計画と費用

     本文の通り、そもそもなかった計画にしても、完全に総崩れ。それは良かった。計画してたらチトラール方面は行けなかった。

     費用の詳細データは残っていないが、当時のレートは1USD=38Rsくらい。1USD=110円くらい。なので、1Rs=2.9円くらいであったことになる。

    1.交通費 170,000円 

    NRT/ISBの往復航空券、HISで購入121,000円
    空港からラーワルピィンディーまでのTaxi250ルピー
    ギルギットまでの夜行バス250ルピー
    ギルギットからフンザまでバス乗り継ぎ50+50ルピー
    クンジュラーブ峠往復、ジープ1日チャーター2800ルピー
    シャンドゥール峠越え、2泊3日のジープチャーター350USD
    空港までのTaxi150ルピー

     現地交通費は49,000円くらい。ほとんどがジープのチャーター代だ。得られた体験に十分見合っていると思っている。

    2.宿泊費 3,000円くらい

     記錄が不完全だが、全8泊で、トータル1000ルピー以下。

    3.食費 5,000円くらい

     記錄が不完全だが、山の上とか特別なところをのぞいて、だいたい1食40~50ルピー。それより、コーラ12ルピーとか水とか、飲料系が結構高い。最終晩のアレを除いて酒はない。

  • 1996 雲南省・大理

    1996 雲南省・大理

      一年前のタイ北部山岳少数民族の美少女に味をしめた浅井は、 少数民族の宝庫といわれる中国雲南省を目指した。 また、雲南には日本人旅行者にとびきり評判のいい大理という町がある。 長く苦しい中国の旅をした旅行者がここまでたどり着いてほっと一息するという。 そんな町と旅行者を飛行機を乗り継いで超特急で覗いてきた。 久しぶりの一人旅になる。ドミトリーというものも初体験だった。

    旅程

     サラリーマンバックパッカーとしては、大まかな旅程は描いているが、実際にバスが取れるか、移動がスムーズに行くかは行き当たりばったり。以下の旅程表は結果論を記載している。当初は、あわよくば麗江まで行けないか、とか思っていた。

    1996年日程宿泊地
    26APRNRT 1000 ✈ SHA 1200 JL791
    上海観光
    上海泊
    (浦江飯店のドミトリー)
    27APRSHA 0750 ✈ KMG 1040 SF451
    夜行バス:大理へ
    車中泊
    28APR下関でいろいろ大理泊
    (紅山茶賓館のドミトリー)
    29APR沙坪の月曜バザール
    大理観光
    大理泊
    30APR蝴蝶泉大理泊
    01MAY大理観光(レンタサイクル)
    夜行バス:昆明へ
    車中泊
    02MAY昆明市内観光昆明泊
    (茶花賓館のドミトリー)
    03MAY石林観光昆明泊
    04MAYKMG 1140 ✈ SHA 1420 SF452上海泊
    05MAYSHA 1025 ✈ NRT 1415  UA852 ”C-class”
    成田帰国

    day1. 上海

     上海空港に降り立つも、空港内のどこの銀行も昼休みで両替ができない。1時過ぎまで待ち、ようやく両替を済ませたら、空港バス(4元)で市内に出る。少し遠いCAACオフィス前に到着したので、外灘まで市バス(5角)で移動。

     川沿いは、カップルばっかりで、気合をいれてポーズを決めて写真を撮っている。上海では唯一になってしまったドミトリーのある宿、浦江飯店でドミのベッドを確保。ここのドミは男女別室。イギリス統治時代に作られた立派な建物でとてもきれい。一泊55元で、合鍵のデポジット50元を預ける。

     同室の日本人の桑崎さんと、夕飯を食べに行く。安い飯屋を教えてもらう。メシ代6元、ビールは2.6元x2。

    day2. 昆明へ

     タクシーで空港に向かい、国内線で昆明へ。中国の国内線は乗り方が難しい。昆明空港から市内は2元の空港バスがある。以外に大きい近代的な都市だった。日本と大きく異なるのは自転車用の車線がしっかり確保され、交差点には自転車の交通整理をする女性が4人、車の交通整理をする警官が3人立っている。

     茶花賓館まで移動し、今夜の大理行きの夜行バス(95元)を手配する。市の中心に移動して、ぶらぶら。昼飯を食べる、7.5元。

     紅山茶賓館で待っていると、19:15に迎えが来て、19:30にはバスに乗車。中国の寝台バスは、全部、平らなベッドになっているやつ。一つのベッドに2人ずつ。バスは21時に昆明を出発した。バックパックを枕にして寝ていたのだが、カメラを盗まれた。途中の休憩所からとなりに寝ているやつがいなくなって快適だと思っていた。

    day3. 大理

     昆明から寝台夜行バスで12時間ほどたった10時30に下関に到着。カメラがなくなったので、下関の公安に行くと、言葉が通じず、どうせ旅行者は大理にいくのだろうから、そっちでやってもらえ。

     下関からさらに 4番のバスで30分(1.2元)。 日本人旅行者に絶大なる人気を誇る街「大理」。 そこは、安宿とうまい飯屋があり、外国人が集まってくる 期待通りのただの「沈没地」であった。

     紅山茶賓館の1階のドミトリーが1泊10元。1週間契約だと 6元になるという。ドミトリーにはここからチベットまで抜ける情報を集めている人や、 ミャンマーへ入る人、ベトナムから上がってきた人など、 さまざまなアジアの旅人を見ることができた。だいたい、日本人は日本人部屋に集められているようである。男女同室。ここでは上海在住の留学生の真鍋さん、バンコク在住のカメラマンの油井さんと同室する。

     軽く昼食(焼きそば等、13元)をとった。

     カメラがないのでは旅行にならないので、さっき通ってきた比較的大きな街であろう下関にバスで戻る。百貨店のようなところでカメラが買いたいが、日本のクレカは使えず、街で外貨両替できるところも見つからなかったので断念。大理に戻ってきて、おもちゃみたいな286元のカメラを購入(本当に写るのか?これ)。というわけで、ココまでは写真がない。

     夕食はハッピーカフェのヒレカツ定食が8.5元、ビールが4元x2。 

    day4. 沙坪の月曜バザール

     大理からバスで1時間。小高い丘の上で 毎週月曜日に開かれる沙坪のぺー族の市場。大きな市場ではあるが、一回り30分くらい。小さな丘の中腹で開かれている。

     市場には野菜や、たった今肉になったばかりの豚、 紐でつながれ涙を浮かべながら悲鳴をあげている豚。 ぺー族の民族衣装に用いられるカラフルな糸や布地などが売買されている。 市場にはカラフルな民族衣装を着たぺー族の人々でにぎわっている。市場の屋台で食べた「うどん」は1.6元。少々僕の口には合わなかった、漢民族の中華料理とは違う文化圏の食べ物。

     市場を離れると、石造りの細い路地が入り組む沙坪の町に入ることができる。駄菓子屋で何やら買い物をする子どもたち、路地の真ん中の井戸で水を汲む村人の姿があった。

     大変乾燥していて、道端ではサボテンが花をさかせていた。

    葬式行列

     たまたま沙坪の町で葬式行列に出会った。激しく爆竹を鳴らし、派手にゆっくりと 歩いて行く。行列の最後には「泣き女」が付き添いに支えられながら 泣き歩いていた。迫真の泣きっぷりである。

    大理の公安にて

     大理の公安にはとてもかわいい英語の上手な女の子がいて、トラブルに巻き込まれた外国人の相手をしてくれる。正式には公安の職員でないのか、いつもかわいい私服姿。年の頃17,8才。

     昆明から下関の夜行バスの中でカメラを盗まれてしまった件、盗難証明書をもらいに大理の公安にいった。やっぱり言葉が通じず、ちょっと待ってろ、と言われて上述の女の子が現れたという訳。はっきりと気品の格が違う上流階級の女の子だと感じる、流暢な英語で調書を撮ってくれた。明日の朝10時に証明書ができる。カメラは後日、クレカ付帯の海外旅行保険で補償された。

    大理北門と、三塔寺

     大理北門は1元で登ることができる。そこから大理の街並みを一望することができる。湖と4000m級の山々に囲まれた美しい街だ。

     三塔寺は、おそらく、大理の唯一の観光資源ではなかろうか。それほど大理は 退屈で居心地のいい地である。三塔はいつ建てられたのかは不明だと いう。三塔を池に映して見る大理三塔倒影公園は入場料1元。 あの山の向こうはチベットに続いてるだなぁと思うと、遠くまで きたもんだと感じることができる。

    day 5. 蝴蝶泉

     ナシ族の少女たち。本来は大理より奥の麗江の方に住んでいる民族である。 おそらく観光客目当てに蝴蝶泉まで出張して来ているのだと思われる。かわいい少女達が輪になって歌い、踊っており、中央で少年が笛を吹いていた。5元払って、踊りの輪の中に混ぜてもらう。少女達は丁寧にステップを 教えてくれた。何曲か踊ったが驚くことにその中には5拍子の踊りが ある。

     蝴蝶泉という観光公園 では、観光客に民族衣装をレンタルする商売をやっていた。 近くに座っていた美しい娘さんにお願いをして一緒に写真を 撮らせてもらったが、彼女らがぺー族なのか、衣装を着た 観光客なのかは不明。

     このあたりでは少数民族の 人々も若い年代は民族衣装をほとんど着ていない。町を歩いていても たまに一人二人見かける程度である。

     中央は、大理のドミで知り合った日本人サラリーマンの中田さん。彼も 短期GW脱出組みだという。この日の夕食は宿で集まった日本人みんなで食べに行った(ベテランの先輩旅人の引率なので、割り勘で一人10元)。

    day 6. 大理での最終日

     未明からお腹を激しく壊した。この日は絶食で、3食コーラ。世界中だいたいどこにでもあり、衛生的で、栄養価も高い。命の水。

     明日、5月2日から、大理では三月祭という1年に一度の大きな お祭りが行われる。祭りに向けてだんだん町がにぎやかに 活気を帯びてくるのがわかる。写真は前日のリハーサルの もの。広大な三月祭会場で遊戯の練習をしていた。どうやら 少年少女のこの出し物は大理市教育委員会が指導していて、まるで日本の運動会のようである。

     それとは別に会場周辺では屋台や出店が立ち並び、 盛り上がっている。

     私はスケジュールの都合で今夜、昆明に出発する。あとで聞いた話によると、祭りの初日は 雨に降られてしまったらしい。

     18時半に集合してバスターミナルへ、19時半にバスは出発した。

    day 7. 昆明で沈没

     朝、7時半に昆明のバスターミナルに到着した。茶花賓館のドミトリーのベッドを一泊30元で確保。お腹はだいぶ良くなり、昼からビールが入るようになってきた。明日、石林を見に行くことにした。

    day 8. 石林

     昆明から40元の石林ツアーバスに乗って石林観光をした。ツアーバスといっても、往復のバスが手配されるだけ。 石林の入場料は33元。サニ族の人にチップを払えば、裏から無料で入れるらしいので探したのだが見つからなかった。石の柱や壁がにょきにょきと地面から生えている、文字どおり 石の林である。一周歩くと3,4時間を要する。

     石林の入り口のゲートの近くには、サニ族のガイドの娘さん がたくさん座っていた。多くの団体観光客がガイドを雇っていたが ガイド料がいくらなのかは不明。一緒に歩いてくれるのだから、個人で雇ってもよかったかもしれない。

     夜、大理でご一緒した中田さんと再開したのでBarで軽く飲み。

    day 9-10. 上海経由で帰国

     エアポートバスで昆明空港に行き、上海までひとっ飛び。行きにも泊まった浦江飯店のドミトリーにきた。さすがに、9日前とは面子は入れ替わっていた。

     上海はやっぱ都会で、外灘ではウェディングやってた。夕食は上海の目抜き通りである南京路の方まで繰り出してみた。歩行者天国をやっていて、マクドナルドもある。物価も高い。銀座だね。

    計画と費用

     中国元のレートは1USD=8.33元。1USDはだいたい105円だったので、1元=12.6円だったことになる。

     バックパッカー的一人旅なので、航空券のみ手配してあとは現地。中国国内線まで手配したので、まあ、緩いほうと言えよう。

     現地費用は約1万円(お土産代などは別)、と破格の値段に落ち着いた。ドミトリーと日本人宿の旅仲間たちとの親睦によって、当時の本気のバックパッカープライスになったに違いない。

    1. 航空券 176,800円+190元=179,194円

     有楽町のJAL PLAZAで予約、発券。ド・ノーマルの正規料金、おまけに、復路の上海→成田はビジネスクラス。

    NRT/xSHA/KMG/xSHA/NRT [Y2/Y/Y/CR] JPY176,800

     ゴールデンウィークということもあって、格安航空券もそれほど安くなく、中国国内線を繋いで、ということだったらいっそのこと無敵の正規料金で。どうせビジネスに乗るんなら、マイルとかに目がくらまないで、日系航空会社のビジネスクラスにすればよかった。正規料金だから航空会社はどこでも選べる。

     他に中国の空港では国内線で50元x2、国際線で90元のPSCがかかった。

     中国VISAは中国大使館で直接取得、費用は記錄なし。3,000円くらいじゃなかっただろうか(曖昧な記憶)。

    2.宿泊費 200元 = 2,521円

    上海(4/26、5/4)浦江飯店 ドミトリー 1泊55元 x 2 = 110元
    大理(4/28-30)紅山茶賓館 ドミトリー 1泊10元x3 = 30元
    昆明(5/2-3)茶花賓館 ドミトリー 1泊30元x2 = 60元
    合計 200元

    3.国内交通費と観光 358.9元 = 4,522円

    4/26 上海空港→市内上海空港からの空港バス 4元
    市内バス 0.5元
    4/27 市内→上海空港タクシー 56元
    4/27-28 昆明→大理昆明空港からの空港バス 2元
    昆明→下関の夜行バス 95元
    下関→大理のバス 1.2元

    買い物のため下関往復
     ミニバス1.5元、市バス1.2元 
    4/29 沙坪沙坪往復ツアー 12元
    4/29 大理大理三塔寺倒影公園 入場料 1元
    大理北門 入場料 1元
    4/30 蝴蝶泉大理からバス 4元x往復 = 8元
    入場料 6元
    ナシ族の踊りの仲間に入れてもらう 5元
    5/1 大理→昆明レンタル自転車 10元
    大理→昆明の夜行バス 70元
    5/2 昆明市内市バス x2 1元
    5/3 石林ツアーバス 40元
    入場料 33元
    5/4 昆明→上海昆明空港への空港バス 2元
    上海空港からの空港バス 4元
    市内バス 0.5元
    5/5 上海市内→空港タクシー  60元
    合計 358.9元

    4. 食費 234.8元 = 2,960円

     帰路の上海での食事の記錄が失われていたが、8日分の食費の合計は234.8元だった。そのうち1日は腹壊しのため絶食、3食コーラの日を含んでいる。

     ビールは安い。大理ビールという地ビール?があり、HappyCafeで飲んでも4元、売店で買うと2.8元と大変お世話になった。大理には旅行者に人気のHappy Cafeという日本食レストランがあり、ヒレカツ定食、カツ丼定食が共に8.5元。豚肉が美味しい。何度か利用した。

  • 1995 タイ少数民族

    1995 タイ少数民族

     タイの北部、ラオスとミャンマーの国境の山岳地帯には、数多くの少数民族が住んでいる。 この地帯は世界的な麻薬の産地としても知られ、黄金の三角地帯(Golden Triangle)などとも呼ばれている。 一方、このあたりは美少女の三角地帯ともいわれ、世界的な美少女の産地でもあるという。 この情報をキャッチした旅人は、美少女を求めて今回の旅を決行したのであった。

    旅程

    1995年日程宿泊
    26AUGNRT 1220 ✈ BKK 1630 AI309
    BKK 1855 ✈ CNX 2000 TG120
    チェンマイ泊
    27AUGチェンマイ市内観光
    ナイトバザール
    チェンマイ泊
    28AUGDoi Inthanon 国立公園でトレッキングカレン族の村泊
    29AUGトレッキング(象乗り,滝で水浴び)カレン族の村泊
    30AUG下山、いかだ下りチェンマイ泊
    31AUGCNX 1055 ✈ BKK 1200 TG105バンコク泊
    01SEPバンコク市内観光バンコク泊
    (AIが用意したホテル)
    02SEPBKK 0850 ✈ NRT 1555 AI306(AI8時間ディレイ)
    成田帰国

    チェンマイ

     チェンマイの市内および、郊外には寺院がたくさんある。 我々は、トゥクトゥクを2時間170Bで借り切り、これらの寺院をまわった。 写真は1345年に建てられたというチェンマイでは最も格式の高い寺院の一つ。トゥクトゥクの運転手は一通り寺院を回った後、お約束の土産物屋に我々を連れていった。 銀製品の工場、漆塗りの工場、そのどちらでも買い物をしないと、女はどうかと勧めてくる。 明日から山に入るので今は必要ないというと納得してくれたのであった。

     チェンマイ市内にある昼のマーケットの一つ。我々は雨宿りのために立ち寄った。市場の中の屋台のようなところで1杯15Bの麺をいただいた。最高においしかった。 その後、市場でいろいろな果物を買い、試食した。ドリアンも切り身があり友人が初体験だというので、買って食べた。

    山岳民族トレッキング

     いよいよトレッキングである。ツアーはチェンマイのゲストハウスで手配した。象乗り、いかだ下り、全食事付きで2泊3日で一人1600B。チェンマイからトラックで5時間程かけて山に入り、モン族の村からトレッキングを開始した。最初は延々と続く段々畑を横切り、ひたすら歩く。

     メンバーは、我々日本人2人の他、イギリス人カップル、スウェーデン人カップル、香港娘、フランス人介護婦3人組みの計10人にガイドがつく。

     森を4、5時間ほども歩きカレン族の村に入った。この村の村長は付近の3、4の村の村長を兼ねるビッグな男。この日は留守だったので村長婦人に挨拶をして入村。

     写真のカラフルな民族衣装は、カレン族の既婚の女性のもの。観光客を受け入れている村なので、写真撮影もOKなのだが、よその村に入り込んだよそ者という立場はやはり、居心地の悪いものである。

     この村で一泊。グループにベジタリアンがいたため、全員肉抜きの食事となる。

     カレン族は唯一象の調教ができる少数民族である。村まで象に来てもらい、象にのってジャングルを進む。象に乗っている時間は2時間程度であったが、意外にすぐ飽きてしまう。また意外に剛毛なのでちくちくする。

     象には、村の高床住宅のベランダから乗り込み、降りるところにはちゃんと停留所のようなやぐらが建ててあった。象を降りると、さらにジャングルの奥へと進む。途中、ズボンを脱いで川を渡ったり、丸木橋(掴まるものはなにもない)を渡ったり、崖を横切ったりとなかなか激しい。

     山の風景は日本の山とさして変わらないように見える。まるで丹沢を歩いているようだ。所々、バナナやヤシなどの熱帯植物があり、ここはやっぱりタイなのだなぁと思うのである。標高も1000m近いので気温も涼しい。 今日の目的の村は、山の頂上にあり、水がない。途中滝壷で水浴びをし、お風呂を済ませておくのである。みんな水着に着替えて水浴びをする。トレッキングには水着が必需品なのである(実は我々は知らなかったので短パンで入っていた)。話には聞いていたのだが、欧米の女性は、全く気にせずに我々の前で着替えていた。

     山を登りつめ、山頂につくとサコカレン族の村がある。カレン族の中で、天を信仰するため山頂に村をつくるという。10数戸の小さな村で電気も水道もトイレもない。水は女が山を下りて川からくんでくる。農作業も女の仕事、炊事も女の仕事。男達は昼間は蹴鞠を楽しんでいる。

     我々のために、火をおこし、どこからか毛布を用意し、水をくんできてくれたのはやはり村の少女だった。我々は夜に火を囲んで男たちと酒を酌み交わし、歌って踊って楽しむことができた。

     白いワンピースが未婚の女性の衣装。未婚の女性とはいってもまだ10代前半の少女である。ちょっといいなぁと思うような年齢の女性はみな既婚女性であることが多い。相当気合をいれた青田買いが必要なのだ。

     彼女たちは、昼間は畑仕事に出ているし、帰ってくるとすぐに水汲みや炊事の仕事があるのでなかなか旅行者は出会えないのである。

     既婚ではあるが、美しいカレン族の女性が生地を織っている。これは彼らの日常の衣装や生活に使われるのはもとより、街に売りに出して数少ない現金収入を得る手段になっているらしい。

     彼らは村に豚や水牛やニワトリを放し飼いにしてあり、広大な水田も持っているので基本的には自給自足が可能である。しかし、学校を作ったり、井戸を掘ったり、トイレを作ったりするためには現金が必要だという。

     トレッキングを終え、尾根づたいに下山した。ふもとには小さいが電線も、車も通れる道もある。この村でも民族衣装に身をつつんだ女性が畑仕事に精を出していた。我々はこの村で再度トラックに乗り込み、チェンマイの街へと帰る。

     雨季にかかっていたのに、一部山道がぬかるんでいたものの、トレッキング中は雨に降られずにすんだ。チェンマイに戻るトラックの中で雨が降り出し、チェンマイはしっかり雨だった。

    下山してチェンマイ

     ナイトバザールの裏にあるBARなのだが、トレッキングに行く前にもここで飲んだ。その時、トレッキングに行くんだといってあったので、再度行ったのである。ちゃんと覚えていてくれて歓待してくれた。客と一緒にトレッキングに行ったこともあると言う。夕方から夜中まで飲んで2人で800Bも飲んでしまった。

    彼女:「今晩一人で寝るの?」
    私: 「いや、こいつと二人で」
    彼女:「女の子は好きじゃないの?」
    私: 「そういうわけじゃないんだけどね」

    カオサン(バンコック)

     言わずと知れたバックパッカー集結の地「カオサンロード」。バンコクに戻ってきた我々はバンコクの宿をカオサンに置いた。衣料品、旅行用品、食事、航空券、偽学生証、安宿、などなど旅をするのに必要なアイテムがここには全てそろっている。

     しかし、チェンマイでエアコン、温水、テレビ、冷蔵庫付きで一部屋一晩250Bのゲストハウスにいた我々には、カオサンの宿は高かった。独房みたいのなら安いのもあるんだけど。結局、ファン&冷水シャワーのこぎれいな280Bの宿に投宿する。

     翌日、深夜午前0時15分発のエア・インディアはしっかり約8時間遅れ、我々は空港近くのホテルに収容されバンコクで1泊増えてしまった。エア・インディアはホテルを用意してくれたので、高級ホテルに未明から朝まで1泊。

    計画と費用

     当時は、1USD=25THBで固定されていた。1USDは94.5JPY、つまり1B=3.78円。この旅行は中学、高校時代の友人と男二人旅行、とにかく最安値が正義だし、基本は割り勘。飛行機だけ手配して、他は現地で。

     飲食代は別で1人68,000円くらい。多分、飲食や、成田までとか、コミコミで10万くらいだったんじゃなかろうか。この頃の僕らにとっては、それほど「安い」わけではなかったけど。良い旅だった。

    1. 航空券 59,300円

     HISでタイの国内線区間を含め予約、発券した。包括旅行運賃、いわゆる格安航空券。がんばって最安値をゲットした。バンコクに到着した当日の夜行バスでチェンマイに行くというスキルはまだなかった。

    NRT/BKK/NRT [Discounted YLIT10//BKK] JPY46,500

    BKK/CNX/BKK [SOTO Y THB3,300] JPY12,800

    2. 宿代 1,950円

     チェンマイ(NICE PLACE G.H.) 250B x 3泊 = 750B

     カオサン (TOURIST HOTEL) 280B(ファン、水シャワー)

     カオサンで泊まったこの宿には、ロケーションもよく、部屋の広くて清潔で、その後も何回かお世話になったのだが、いつのまにか、なくなっていた。

     トータルで、1人あたり1,950円。※ 最終日のBKKの余計な1泊は遅延したAir Indiaのおごり。

    3. 観光 6,370円

     2泊3日のトレッキング 1,600B(1人あたり)、 チェンマイ観光のトゥクトゥク 170B

    4. 飲食代 不明

     チェンマイのナイトマーケットの飲み屋で800B飲んだのは、本文の通り。

    Appendix.

     後日追記。

     カオサンの今昔。

     左からカオサンの南を並行に通る小道。しばらく後で来た時はオシャレな服屋がいっぱい並んでいた。

     真ん中は、当時の日本人が集まっていた日本語の通じる旅行会社兼メシ屋、行ったことはない。

     右は、路上の国際学生証の偽装店。国際学生証があると、美術館とかいろいろ割引&無料になるので、使い勝手がよかった。学生じゃなくてもココで作ってもらえた。

     さて、山の方の番外編

     パイプを加えたおばちゃんもかっこいい。夜、我々外国人のために夜遅くまでキャンプファイヤーのように火を炊いてくれて、最後まで付き合ってくれたおばちゃんと、妙齢というには若い少女、ちょっと眠そうだった。

  • 1995 ベトナム縦断

    1995 ベトナム縦断

     旬のベトナムを旅する!「忘れていた元気をとり戻す旅。最後のエイジアンパワー、走り出したベトナム」

     1995年4月13日号のHanakoの表紙の大見出しである。今ベトナムに行くと、Hanako を握り締めた日本人の若い女性にたくさん会えるかもしれない!? なんて、不純な動機で我々はベトナム入りを決意した。というのはウソで、GWに出国するため、2月には航空券を確保していたが、旬を逃すなというのは本当の話。

     メコンデルタと豊富な果物、南北統一鉄道、それにアオザイギャル、が今回のメインテーマ。

     1995年といえば、ベトナム戦争から20年を経てようやくベトナムとアメリカが国交を回復した年。その2年前の1993年に国内の自由旅行が解禁になったという、そんな時代。当時のベトナムといえば、ようやく発展を始めたばっかり。すごく素朴で、パワーあふれる本当に旬なベトナムを楽しめた。

     Hanako編集部もやるなぁ。

    旅程

    1995年日程宿泊地
    28APRNRT 1800─(UA897)→TPE台北泊
    29APRTPE 0740─(CI681)→SGN
    バス:ホーチミン市→ミト
    ミト泊
    30APRメコン川クルーズミト泊
    01MAYバス:ホーチミン市へ
    ホーチミン市内観光
    ホーチミン市泊
    02MAY列車:ホーチミン市(朝)→ 南北統一鉄道の旅車中泊
    03MAY→フエ到着(昼)フエ泊
    04MAYフエ観光(船をチャーター)フエ泊
    05MAYHUI 0900─(VN244)→HAN
    ハノイ観光
    ハノイ泊
    06MAYHAN 1000─(VN924)→TPE
    台北観光
    台北泊
    07MAYTPE 1050─(UA890)→NRT
    成田帰国

    ホーチミン市

     この当時からホーチミン市ではぼったくりがあったけど、至極快適な移動手段。自転車の前に乗るのでスリル満点。だいたい1ドルとか2ドル。

     中心部からちょっと離れたところとはいえ、こんな感じ。自動車というものはほとんど走っていなく、自転車かバイクのみ。

    ミトー

     ミトーに移動した、宿の前の食堂の朝食。とにかく、美味しい!こちらの食堂にはこれからたくさんお世話になる。

    メコン川クルーズ

     1日貸切で20USD。メコン川というのはとにかくでかい。遠くに見える対岸は中州であったり、その中州のなかにこんな風な小さい水路がたくさんめぐっている。

     地元の子供たちがめちゃかわいい!

     中州の村を案内してくれたガイド?さんの家族と、船のドライバーさんとの記念写真。とても素敵な時間を過ごせた!

     そこらじゅうにトロピカルフルーツがなっていて、とって食べさせてくれた。野生なのだろうか?

    ミトーの町で

     メコン川の名物料理とのことで、川沿いのレストランで注文する。そうしたら、店の主人がこれから買ってくる!って市場までいってきてくれた。

     待つことしばし。生きたままの象の耳を、煮立った油にそのまま投入!豪快さに感激。味は絶品でした。

     身をほぐして、野菜と一緒にライスペーパーで巻くところまで、お店のお姉さんがやってくれる。味は絶品でした。

     大河というのは、本当に癒やされる。

     港は、エネルギーがみなぎっていた。ものすごいパワーに脱帽。

     女性は、通った食堂の看板娘さん。

     朝に特注しておいたナマズやカニや、他にも、あれこれメコン川の幸を特注しておいたので、この日は大宴会。

    南北統一鉄道

     鉄道でフエへ。30時間以上。遅いの何のって、上り坂だと自転車に抜かれる始末。食事は給食のように配膳された。

     駅につくと、こんな感じでブドウやらマンゴーやらいろいろ売りにくる。とても美味しい。ボラれる感じとかまったく無く、素朴で親切で、なんていい国なんだろうって思った。

    フエ

     フエの街にて。やっぱコレですよね。ベトナムの風景といえば。素敵すぎます。

     結構高い入場料(外国人料金)を取る。ところが、ベトナム戦争の戦禍でほとんど壊れてるんですよね。今後は修復されていくのかな。壊した奴らが払うのは当然かも、と。

     空爆の跡が池になっているのをところどころに見かけた。銃弾の跡とか。

     外国人旅行者に有名なレストラン。列車の中で仲良くなったノルウェー人とウォッカの飲み比べは勝負にならなかった。お店の女の子(娘さん)、かわいかったなぁ。めちゃフレンドリーで通って、入り浸っていた。

    ハノイ

    ハノイにはろくにいる時間がなかった。メコン川あたりで時間を使いすぎた。一応、名物ということで見に行った。

    費用と計画

     1USD=95.1円。ベトナムドンは1USD=11000VND程度。VNDは₫と表記される。

     基本的に外国のお金といえばUSDで、両替もUSDから、場合によっては直接USDで支払いができるところも多数。

     今回の旅行は、会社の同期と二人で行ったので、基本的に費用は割り勘。

    1.航空券+VISA 107,559円

    NRT/xTPE/SGN//HAN/xTPE/NRT [YLPX1M] JPY95,000

     HISで予約発券。いわゆるIATA-PEXの料金で航空会社によらず決まっている。すなわち、旅程の中で複数の航空会社を混在して利用が可能。事前発券の正規割引運賃の一種。SGNイン、HANアウトのOJで、往復ともに、台北でS/Oして一泊した。

    HUI/HAN [Y2] US$90

     サイゴンの空港オフィスで予約発券。Y2クラスは制限付きノーマルエコノミー。制限といっても途中降機できないくらいで、あまり制限ではない。航空券はドル払いが要求された。

    ※金額は1人分

     ベトナムは事前にVISAが必要。大使館で直接申請して一人4,000円。

    2.主な移動費 3,061円

    サイゴン→フエ間の夜行列車(食事付き)342,000₫。列車は現地通貨払いが必要。

    サイゴン→ミトー間のバス 6,200₫ x2

     南北統一鉄道の車中風景と、車内食。たぶん、食事は外国人料金を払っている外国人席専用と思われる。

    3.宿泊費

     詳細な記錄は残っていないが、A/C付ツインの部屋が1泊10~20ドル程度。

    4.観光

     フエでのメコン川のボートクルーズが20ドル。

     フエの観光は、MOON GATE、TU DOC TOMB、MINE MANG TOMB、KHAI DINH TOMBの4個所の遺跡の入場料がそれぞれ55,000₫つまり5ドル程と高い。4か所みて、20ドル。まるで、京都かと思ったけど、彼らからしてみれば、外国人に爆撃されれ壊された遺跡をこれから修復しなきゃいけないので、金を出せと。至極まっとうな要求のように思えた。

     ハノイの水上人形劇はたしか10ドルくらい(記憶)。

  • 1994 ユカタン半島

    1994 ユカタン半島

     カリブ海の青い海と白い砂。テーキーラとマヤの遺跡。今回の旅のテーマはこんな風だった。 ロサンゼルスでは、スペイン語の先生と再開を果たすという副題もある。前半はカリブ海を満喫し、 後半はマヤの遺跡を観光する。地ビールが大変美味しかったこともあり、テキーラを楽しむことだけが 果たせなかった。

    編集待ち

    旅程

    1994年日程宿泊地
    19NOVNRT 1630 ✈ LAX 0910 UA890便
    ロサンゼルス観光
    LAX 2350 ✈ MEX 0512+1 UA1009便
    機中泊
    20NOVMEX 0720 ✈ CUN 0920 UA1009便
    isla mujeresでビーチ&ダイビング
    カンクン泊
    21NOVTulum遺跡観光
    Xel-haでシュノーケル
    カンクン泊
    22NOVバス:Chichen itza へ
    Chichen itza遺跡観光
    バス:メリダへ
    メリダ泊
    23NOVUxmal遺跡観光メリダ泊
    24NOVメリダ市内観光メリダ泊
    25NOVMID 1020 ✈ MEX 1300 AM411便
    MEX 1430 ✈ LAX 1625 MX902便 ※UA便キャンセルの振替
    ロサンゼルス観光
    ロサンゼルス泊
    26NOVLAX 1140 ✈ NRT 1620+1 UA897便機中泊
    27NOV成田着
    HISで予約発券
    NRT/LAX/MEX/LAX/NRT [Discounted YLGV2]
    MEX/CUN//MID/MEX [SOTO Q1/Q3 US$203]

     LAXからMEXまでのフライトは5時間あまり、ちょっとは仮眠できると思っていたのが、2時間の 時差を忘れてる。実際の飛行時間は3時間。その間に機内食とツーリストカードの記入があり、ろくに寝られない。

     MEXで入国後、国内線でCUNへ。空港で紹介された旧市街のバスターミナル近く の Hotel Plaza Caribe に投宿する。この日は独立記念日で、市街中央部の交通は麻痺状態。

     しばらく歩いて バス(N$1.5)にのりPuerto Juarezへ、フェリー(N$5)を乗り継いで、Isla mujeres に到着。ビーチから島の反対側の海が見えるほど 細長い小さな島。カリブ海の海と白い砂。飯もうまく天国天国。

     カンクンから南にカリブ海岸を南下する。バスで2時間(N$14)で Tulum の遺跡(入場料N$16)に到着。マヤの遺跡の中では 小さい方であるが、カリブ海の海岸にあり、海の美しいブルーとの対比は見事。

     遺跡からは、砂浜に降りることもできる。水着をもっていれば泳ぐことも可能。 遺跡は大変暑く、一通り見学した後、我々も海に飛び込んだ。

     エメラルドグリーンのカリブ海と、マヤの遺跡が対照的。岩場にはイグアナ君も住んでいる。

     Tulum から15kmほどカンクン方面に戻ったところに、自然の水族館ともいえる小さな入り江 Xel-ha(入場料N$15)がある。 Tulum からは、国道でバス(N$2)を拾い、すぐである。熱帯魚の泳ぐ海でスノーケリングを楽しむことができる。

     海の中ではいかにも「カリブ」という顔をした魚と出会った。水上では、美しい女性に。。。

     天国のようなカンクンを後に、バス(3時間でN$18)でChichen Itzaを目指す。バスはジャングルの中のまっすぐな道をものすごいスピードで飛ばす。 小さな村をいくつか通過して、ジャングルの中に忽然の姿をあらわす マヤの大ピラミッドに到着する。

     ピラミッドには鎖がかかっており、自由に 登ることができる。結構傾斜がきつく、転んだら命はない。

     まさに奇景である。規則正しく並ぶ柱と、いけにえに生きた人間の心臓をささげた という、雨の神チャックの石像がある。心臓を置く皿もちゃんとある。また、雨乞いに 生きた少女を沈めたという小さな池もある。球蹴場など、マヤの不思議な遺跡が 広いエリアに点々とあり、日差しの強さと暑さも手伝って、結構しんどい観光だった。

     Chichen Itza からメリダに移動、宿をとり、Uxmalのライトアップショー「光と音のショー」 に参加。昼過ぎに出発して、明るいうちにUxmalの観光をする。暗くなるのを待って「光と音のショー」 が始まる。Uxmalの遺跡は、Chichen Itza のものに比べて派手さはないが、重量感に優るように感じられる。